夕凪亭別館

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因島・白滝山の縁日

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尾道市因島重井町 白滝山の縁日

◎1月17日。初観音参り。明治のころまでは、七日間市がたった。

◎3月15日。春の観音参り。(一観居士伝六さんの命日)

◎7月9日。千日参り。午後8時頃から10時頃。一回のお参りで1000回のお参りのおかげがある、と信じられた。

◎11月6日。浄土日。文政6年霜月6日、伝六、悟道に達した日を記念。

 

縁日については、柏原舒延、「霊峯白滝山の沿革(36)  縁日について」(「反省ノ泉」第220号 昭和46年2月1日)に詳しい。(36)は誤植で(35)が正しい。「反省ノ泉」は修養団捧誠会因島支部(広島県因島市重井町)発行の月刊機関誌。編集兼発行人平賀清隆。

 

初観音

初期(徳川幕府終り迄四〇年間)この祭りは七日間もあって市が立ち随分賑ったそうであります。この間重井の東西二港には旅の参列客船がすき間のない程いっぱい這入り、山上へは地方の商人が凝集し、島内にある他の親族は村祭りのように招待したと言伝えています。

 

 

縁日というのは、神社やお寺と信者さんとの有縁(うえん)の日ということです。その日にお参りすると他の日にお参りするよりもよりご利益があると言われ参詣人が増えます。人が集まれば露店が出て、またそれが楽しみで人も集まるということで、庶民の娯楽の日となって現在でも縁日の賑わいは多くの寺社で見られます。

 

その縁(ゆかり)を少し考えてみましょう。

観音さまの縁日は毎月18日です。一説に関西ではその前夜を縁日と呼ぶ習慣があるそうです。それによれば、その年最初の縁日ということで1月17日が初観音というわけです。白滝山の縁日としては最大のもので、かつては7日間市がたって、東西の港は参拝客を載せた船で溢れ、また商人も集まり山上まで露店を開いていたとのことですから、参道の賑わいは壮観だったと思われます。

3月15日は伝六さんの命日で、春の観音参りとしてお参りしました。伝六さんのお墓は仁王門と西洋館(因島ペンション白滝山荘)の間の広場にあります。多くのお寺では涅槃会をはじめとして高祖の忌日が年中行事の主なものになっていますから、伝六忌を縁日とするのはうなずけます。

千日参りというのは千日お参りして願掛けをするというのが本来の意味ですが、一日お参りすれば千日お参りしたのと同じお陰がある日と意味が転じたようです。白滝山の千日参りは、午後8時から10時ぐらいにかけてお参りし、夜を徹して談笑して日の出を拝んで帰ったということです。観音さまのお参りにはこの日が最も功徳があると伝えられているようです。大阪の四天王寺や東京浅草の浅草寺の千日参りがこのころになっていますから一般的なものだったと思われます。旧暦9日なら月明かりも十分でしょう。

秋の観音参りが11月6日の浄土日です。伝六さんが悟りを開かれた日です。伝六さんが悟りを開かれた日がなぜ浄土日なのでしょうか。お釈迦さまが悟りを開かれた12月8日が成道日で、やはり成道会としてお寺の縁日となっています。ですから伝六さんが悟りを開かれた日を成道日と言ってもよいのですが、お釈迦さまと同じようにしては紛らわしいし、またおこがましいので、同音に近い浄土日にしたのかもしれません。白滝山最高所の石仏は展望台横の阿弥陀三尊像ですから、白滝山は阿弥陀仏の極楽浄土を具現したものです。ですから秋の観音参りを浄土日と呼ぶのもよいでしょう。そして伝六さんの成道日であると思い出せばなおさらよいと思います。

 

 

 さて、縁日の意義とは何か。

当時は?

縁日とは、文字の通りご縁の日である。すなわち、神社などが氏子とご縁を結ぶ日という意味であろう。それが多くの人に受け入れられば、人がたくさん集まり、あたかもお祭りのようになる。すなわち、祀りが祭りになる。そしてその民衆相手の露店が出る。・・・すなわち、現代ではその露店の賑わいが縁日の意味のようになっている。

今は?

 

 

 

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