夕凪亭別館

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因島・白滝山霊異記

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白滝山霊異記

抑(そもそも)当山は古代に於ける山岳信仰の跡にして美事なる祭祀遺跡なり。さてこれ仏法に依りて開き給ひしは実に法道上人なり。上人は天竺の人にして霊鷲山の仏苑に住みしが、中国に渡り百済国を経て大化の頃本邦に来朝せられけり。上人は今昔物語宇治拾遺物語信貴山縁起絵巻に見るが如き千手空鉢の法を得給ひしより空鉢上人或いは満来上人とも称せられぬ。木原の鉢ヶ峯、深安郡中条の円通寺神石郡阿下の星居山にも併せて開き給いしと伝う。始め上人は鉄鉢を恣(ほしいまま)にするや、鉄鉢は空をしのいで自ら飛び、山下の布刈り瀬戸を往来する群船を廻りて鉢米を受けて山上に帰り来ると云う。或る時沖を通る大舟ありしが虚空より舞下りたる鉄鉢の中に舟人邪心を起こして鰯を入りしが、その舟大きく波に揺れて海底に沈みけるとかや。かくてこの瀬戸を山伏の瀬戸と言う。法道上人は弟子白道上人をこの地に、万慶上人を鉢ヶ峯に残して自らは播州書写山へ赴き給いしと伝ふ。白道上人は細島に住みしよりこの島を山伏島と云うとぞ。下りて永禄十一年、海の驍将にして東亜の天地に其の名高き村上新蔵人吉充、この地の青木に本城を構えるや、当山を控への要害とし峯に観音堂を設けて、常楽院静金上人を居らしむ。この上人元和八年三月二十九日遷化して偉名高し。文政五年霜月九日、暁の明星東天に輝やきはじむる頃、当山の麓に住み居りし川口屋柏原伝六なる突如観音の霊感を得て悟道の域に達し、当山に登つて神仏不二即身是佛を信じ、儒教仏教神道の三大宗教に、当時禁制の天主教を含まして、新たに一観教なるものを唱う。道を求むに熱心なる弟子並びに信者浩然として近郷に満ち、遠きは西の周防より、東は越後に及び霊境白瀧山は頓に有名なり。山上には見事なる大石仏五百羅漢の群像を以て満され老若男女の参詣きびしを接するに至る。依りて幕府恐れをなし忌みて邪教となし妄に人心を惑しむ者として度々捕えられにけれども伝六の弁論まことに爽にして官の乗ずる隙なし、茲に於ひて伝六を広島に呼び終に文政十一年三月十五日ひそかに毒害するに至る。初めに伝六郷土をまさに出んとするや死を予期して弟子達に百年後吾れ必ず復活して金色の光を放つべしと揚言せりと伝う。また当山は克く文雅の士の好む所にして備後富士と称せられ或は中国の香積山にも比せられ、その杖をひく者多く、三原文学の宇都宮土籠、京都の碩学綜隠、詩人の広瀬淡窓、岡村景山、梨村順、歌人吉井勇俳人河東碧梧桐の如きはその一ニのみ。凡そ白滝山に登るにその途上に石門三あり。虎踞門(白虎岩)神仙門(屏風岩)枕石門(箱石)即ちこれにして中国揚子江の三峡に比さる。其の他、達磨岩、寛喜岩、五福岩、須弥山岩等々の如き多くの怪岩奇勝に當む。又九州の不知火の如く「たくらうの火」俗に粟切火と云うものがこの浦の初秋の雨夜度に見られて古来有名である。近年我が国政府国立公園に指定す。以上誌す所によつてそのまことに宜なるを識るべし。大方見学の資とす。西碌

 

これはおかしな文章である。ここに述べられるていることは地元の伝承と大きく異なる。国立公園に指定されたのが昭和31年だから、それ以降の文章になるから、ここまで伝承が異なることは何を意味しているのだろうか。

「その杖をひく者多く、」以下の文人吉井勇氏以外は、白滝山に来られたと言う話は聞かない。もし、来られたのなら、文学碑を建てたいものである。

 

 

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