因島重井町 南小路
南小路はいわば重井の銀座であった。
大小路、南小路という名は中世市場の名残である。すなわち村上吉充が青木城を本城としたとき、東浜の武者集団の住居に対して西方を市場街とした。そして大疫神社(祇園さん)をその守り神とした。マスヤと言うのは升屋であって、升や秤を売るということは、そこが売る物が度量衡の基準となったことを意味し、すなわち市場の支配人に他ならない。
升(ます)が商行為においていかに重要であったかは多くの日本史の記すところである。
角川日本史辞典では、p.981に以下のように記してある。
地域ごとに枡の統一がはかられなか、全国最大の市場で、商品流通の中心であった京都で使われていた商業枡(京枡)が次第に優勢になり、織田信長が使い、ついで豊臣秀吉が太閤検地の枡として採用したことから全国に普及した。