夕凪亭別館

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1969年

Lost Days

1969年(昭和44年)

 

1969年3月27日。

春の雪ふとながむるに幼な日の 動画の色が脳を流れし  

夕焼けの空を背にして走る午 思い出すのは神風連かな

遠空で響く音する春の夜に 心ひかれしむずかしき本

 

1969年3月28日。

 午前1時30分頃

 日本史を少しやってもう寝ようと思って,ふと戸を開けると軒下から月がおぼろげに出ているのが見えた。こんなのをおぼろ月というのだろう。

 軒下にひょいと出けりおぼろ月

 「岩宿の発見」相沢忠義。

 

百花繚乱春山

荒唐無稽我頭

光陰去如飛矢

我不知我才能

苦人生常人言

 

 

1969年4月4日。金曜日。雨のち晴れ。

 朝から雨。夕刻前止む。銀色の雲間に雨後の陽が美しく照り映えている。風が少しある。雀の鳴き声が聞こえる。遠くのほうで犬も鳴いている。

 

 大地春の陽に燃ゆる

 大空春の陽に燃ゆる

 鳥花鳴開し陽更に輝く

 冬過ぎて春来たりし

 

 これ自然の理なり,また日本の美なり

 

1969年4月5日。土曜日。晴れ一時雨。

「空想先生」を読み終える。「美しい村」まだ終えず。「奔馬」も早く読み終えたい。 

 

1969年4月6日。日曜日。曇り後晴れ一時雨。

  「奔馬」を読み終へた。「春の雪」と共に感動し,また日本文学いや文学及び作家といふ職業の難しさをしみじみと舐め,今後の努力を堅く誓う。

 春休みは今日で終わりだ。明日から授業が始まる。

 

1969年4月8日。曇り。

 7日未明108号連続ピストル射殺犯人捕らえられる。19歳の少年。朝日はトップと社会欄2面に全面掲載。

 春が来た。春が来た。

 四月になった。

 学校が始まる。眠っていた彼は立つ。

 歩き始める。黙々と歩く。

 歩く歩く,休むことなく彼は歩く。

 やがて彼は走るであろう。だが,まだ歩いている。

 歩け歩け いつまでも

 歩け歩け 休まずに

 この若き命 誰ぞ知らん

 歩き歩き また歩き

 たどり着く所 誰ぞ知らん

 歩け歩け さらに遅く

 誰がための歩きぞ 誰ぞ知らん

 

 国語科等で学習する教材の文章はかなりすらすらと読める。そして,ある程度の理解は容易である。が,数学の教科書,及び物理の教科書等の文章ははなはだ読みにくく,理解が難苦である。もっと科学的な書物にも慣れる必用があると痛感した。

 

 夜,静かな夜。

 2時を1,2分廻ったところ。

 目の縁が少し痛くてチカチカします。

 静かです。誰も起きていません。

 僕だけです。

 あ そうそう,風はまだ起きています。

 時々,勉強部屋の窓をたたきます。

 彼は眠らないのでしょう,いえもうすぐ眠ります。

 もうすぐ夏が来ます。あ,失礼。彼は起きたばかりです。

 昨年の暮れに夜更かししたので,今年は起きるのが遅くなりました。つい先日起きたばかりです。

 たびたび寝ぼけて冬の風に働かせたりしました。

 でも,もう大丈夫です。

 すっかり目が覚めました。

 これからは真面目に働きます。

 彼は多忙です。たくさんの仕事があります。

 桜の花が開くのを,手伝わなければなりません。

 つくしもあります。ネコヤナギはどうかしら?

 もう,済んだかしら。

 南から北へ。

 そして少し行っては戻り,

 南から北へ,

 彼の仕事は続きます。

 僕,眠くなったから寝るよ。

 じゃあ,風くん夏の風が起きるまで頑張ってくれよ。

 おやすみ,おやすみ,おやすみ。

 

1969年4月9日。晴れ。

 機械的な通学

 機械的な帰宅

 

1969年4月10日。晴れ。

 本日も素晴らしい天気。完全に春の訪れを感じる。

 

1969年4月12日。晴れ。

 夕刻。陽はもう既に西方の山の向こうに沈もうとしている。薄い青色の静かな空に緋色の光を投げてあたりの一面を橙色に染めている。綿と煙の化身のような雲の堆積も染められている。橙色と灰色の油絵の具の混合のため一部は銀色に,一部は金色に輝いている。黒い陰のような松の集落はその雲から少し,北よりの視角を下げたところにある。午前中初夏の陽光の恩恵を受けて鮮緑に輝く松も逆光の悪戯のために今はその影だけを留めているに過ぎない。

 が,今日の太陽は少し違っていた。紅色の輝きの中に太陽の肌が見えるように,黒い木陰の中に新緑の息吹が感じられた。

 何万度という丹の色の華光の中に,高温に熱せられた鉄のような色が,次第に山に近づき,山に蝕まれていくように,小さくなった太陽は燃えながら,地球の裏側に落ちていった。

 黒い影の鳶が二羽南から北へ,太陽を背にして横切ったりするのを横目で眺めながら過ごした。

 太陽のいなくなった山際は,健康な猫の鼻血と結核の犬の瀉血を混ぜたような生臭い色をしばらくの間漂わせていた。

 テレビ「石川啄木と近代精神」。金田一京助氏が啄木の思いでを語られているのがよかった。

 

1969年4月13日。晴れ。

 田宮虎彦の「比叡おろし」を昨日読んだ。いいと思う。

 朝日新聞連載中の「鷲の歌」を最後に、海音寺潮五郎氏が文壇から身を引くということを、本日の声欄で知った。理由は、現今ヒットしている「天と地と」がNHKで放映されるまでは、ほとんど目を向けられなかったのが、マスコミのおかげで売れ始めたということで、憤りを感じたらしい。その心活きはわからぬでもないが、そんなことで引退することもないように思う。

 本を売るために小説を書くのではなかろう。自分の思想を何かの物語に挿入して形がないようでいてあるものにして、残していくのが作家の仕事ではないのか。

天と地と」が売れまいと、テレビドラマ化されようとされまいと、関係ないではないか。氏が上杉謙信を尊敬することにおいては変わりあるまい。

 

三島由紀夫は戦争が産んだ、平和が養った作家である。

 

1969年4月14日

  梅桜道を隔てて春の海

  押し寄せて泡立つ磯辺春の海

  夕暮れの海に写りし対岸の月

 夕空に青く瞬く一番星

 

春の猫

赤い柿色の屋根の上に

猫がいる

寝ころんでいる

白い腹一杯に

太陽の光をそのまま受け

昼寝をしている

そばに雀が三羽いる

のどかだ

 

1969年4月15日。

 

眠猫不知乱

遊雀

昼日春風聲

猫眠知少多      

 リミットメーターの針は3minutesのところを指している。あと3分で地球との交信が不可能になる。残り時間はあと3分というきわめてわずかとなってしまったが,依然無線装置の感度は落ちていない。そのように見えても,あと3分もすれば,感度は落ちるとともに,交信は途絶する。

 非常に速い速度で遠ざかっているのであるから,感度の悪くなる圏内イコール交信不可能の圏内ということになる。

 

落ち葉のやうな

紙切れが

畳の上に一枚ある

誰も見ない

みんな気がついている

裏返しになった落ち葉

はかない紙の一つ  

 

1969年4月17日。

 文学の醍醐味。思考の柔軟さ。哲学的内省。

 

1969年4月19日。

 むなしい夜の足音に 涙を流す遅起き鳥

 

1969年4月20日。

 西空に夕刻の太陽沈みつつ

 

1969年4月21日。

 夕刻の空。今にも雨の降りそうな空。

 

1969年5月28日。

 午後白滝山へ登った。青い空は美しく輝いている。

 

1969年9月12日。

  B88W75H90 うで293655

 

1969年10月18日。土曜日。

 水色の花壇を歩いていると,雲の向こうへ魂が飛んでいくのを感じた。目には見えなかったのだが,はっきりとそれが確認された。心のスクリーンに映った像では紫色だったように思う。

 昨夜から悩んでいる。というのは,この僕の存在についてである。僕は三ヶ月ほど前の月曜日に歩いていて車にはねられて死んだように記憶している。そして白銀に輝く夕暮れの海面のようなところを歩いて自分の安息所に行って永久の眠りについたように思った。それが昨夜,ふと自分が現在という時点に存在しているということに気づいた。本当にこまったことだ。

 

1969年10月20日。月曜日。曇り後雨。

 果てしない広がりと,青々としたスカイブルーの秋の空はもう消えて,冬の訪れをほのかに感じさせる今日この頃である。

 季節のせいだろうか,無性に心が沈んで過去の回想と未来の夢想が相交錯して,現実の気分が冷冷とする。心が重く目と目の間になつかしい人たちの面影がちらつく。目を閉じると心の中まで暗くなり,暗闇の中で,せつなく笑う。むなしい秋である。夜空をかける鳥さえも,むなしくうつる秋の夜風。

 

1969年11月8日。

 朝な夕なの冷え込みが躰の奥底にまで感ずる。教室を吹き抜ける秋風が寂しい。

 

1969年11月9日。

 フレネ指揮 N響プーランク「めじか」 ダンディ「フランス山人の歌による交響曲」 シャンブリア「スペイン」 

 

1969年11月12日。

  旺文社文庫50/h。新潮文庫35/

 

1969年11月23日。

 益々過激になり失望。

 

1969年11月28日。金曜日。

 晩秋。

 美しい言葉が好きだ。

 美しいものはいい。

 美しいものはいい。

 美しくないものが現れると

 美しいものが死ぬ。

 

 

1969年11月30日。日曜日。

 950NHK第一でベートーベン英雄を聞いている。僕にはクラッシックなんてさっぱりわからない。クラッシックによって生活に潤いを与えるなんて書いてあるが,僕には本当の音楽のよさがわからない。

 

1969年12月3日。

 瀬戸内の日暮れの何と美しいことよ。彼方の小島の山々に映える夕闇が静かな海原に写し出され,初冬を彩るヒビ(竹かんむりに洪)の内ではなめらかに輝き,潮騒をかもしだす潮流の上ではかすかに崩れて弱く光る。

 彼岸の町々にともる少しばかりのあかりと,此岸の舗装道路の白線は無関係の線を互いにひきあい,華麗な夕暮れにほのかなやすらぎをもたらす。

  

1969年12月16日。火曜日。

 どう書いていいかわからない。

 自分自身がわからなくなってきた。

 

 冬の夜は,北風が寒い。

 水色の星は 悲愴にまたたき

 白い雲の糸だけが 夜空にたなびく

 紫色の蝶が星と星との間を飛翔した。

 

1969年12月22日。曜日。

 美しい星たちを求めて,大空を駆けめぐっている。広い夜空に浮かぶ星々よ,白くまたたくのに,どうして地上界のものだけがあんなにみにくく光るのだろうか? 

 白い月夜なのに,外は寒い。水色の空はあんなに広いのに。

 

1969年12月24日。

 PenguinThe Old Man and the Sea にはDec.24.'69と記されている。おそらく冬休みで帰省した姉に買ってきてもらったものであろう。(後記)

 

1969年12月31日。(昭和44年)

12月が終わる。

 

Lost Days