1999年3月
1999年3月1日。月曜日。晴れ。
晴れ。今日も暖かい。9時前に学校に行く。学部附属共同研究の初校の返ってきたのを整理する。一度家に帰って、図表を準備する。午後、今度は校内の紀要の初校完成済みのものが届き、執筆者に配布する。
1999年3月2日。火曜日。晴れ。
今日も非常に暖かい。今日は午前中、Fさんの科研の原稿を仕上げ大学へ行く。印刷用として完全打ち出しのものを10日頃までにということで、もって返る。ソルターズの訳文の方はK君に協力してもらう。残りも明日までやってもらうことにした。
1999年3月3日。 水曜日。晴れ。
今日も大変暖かい。紀要の校正分の整理。K君から、E-mail。ソルターズのパターンに合わせたもの。すぐできたという。6時頃帰る。
1999年3月4日。 木曜日。晴れ。
4時に目が覚める。暖かい。6時過ぎに眠くなるので、寝ようとするが結局寝なかった。高知の宿確保。
1999年3月5日。 金曜日。晴れ。
「賢木」を終わる。
1999年3月6日。 土曜日。晴れ。
午後、ずっとソルターズの翻訳修正。なんとか形だけのものをつくって東郵便局から速達でFさんに送る。
1999年3月7日。 日曜日。雨。
朝、「花散里」を終わる。午前、午後学校へ。思った以上に時間がかかった。4時過ぎに帰る。
夜、少しソルターズの訳文を修正する。薬を飲んで寝る。
1999年3月8日。 月曜日。晴れ。
レイアウトを修正。放課後、卒業式の準備。ずっと訳文を印刷して図版を貼り付ける。9時前に帰る。
くたびれたので11時過ぎに寝る。
1999年3月9日。 火曜日。小雨午後雨。
5時に目が覚め、5時15分に起きる。「須磨」少し読む。それから、ソルターズにかかる。本日卒業式。「日蝕」少し読む。そのあと、Fさんの科研。8時まで。
夜は、仕事をせずに寝る。「須磨」少し読む。他の巻と調子が違う。都との手紙のやりとりを頻繁に出すのは、やや安易。
1999年3月10日。水曜日。晴れ。
7時前に起きて、「須磨」読んで終わる。
6時半頃帰る。
1999年3月11日。木曜日。晴れ。
今日はあまり暖かにならず。図書の補修と片づけ。7時前に帰る。今日も、咳が止まない。公募ガイドで、山村正夫が、元の職業のことと調べて書くものは書かないのが秘訣だと書いている。言い得て妙である。
1999年3月12日。金曜日。晴れ。
5時に目が覚める。起きて「明石」を少し読む。それから、図解のチェック。
学校では今日も片づけ。K君から手紙。
125 86 p71 22:50
1999年3月13日。土曜日。晴れ。
5時から岡山野村食堂で、邑久高校理科OB会。野坂昭如『かくかくたる逆光』(文春文庫)終わる。
1999年3月14日。日曜日。晴れ後雨。
午前中、午後とも学校へ。4時頃帰り、昼寝。夕食後、『ホットゾーン』(上)を終え下に入る。
薬飲んで寝る。
1999年3月15日。月曜日。雨のち曇り。
夜、「澪標」終わる。
135 86 p67
夜、小説少し。『ホットゾーン』を読みながら、10時頃寝る。
1999年3月16日。火曜日。晴れ。
4時過ぎに起きる。まず、源氏で「蓬生」
夜、「関屋」終わる。夜、5枚書く。
1999年3月17日。水曜日。晴れ。
今日も昨日に続いて非常に暖かい。朝から学部附属共同研究の再校を発送する。その後講演会の準備。
夜、「絵合」終わる。『ホットゾーン』(下)を終える。
1999年3月18日。木曜日。晴れ。
今日は学長講演会で、朝からばたばたする。おもしろい講演だった。
夜、「松風」終わる。
1999年3月19日。金曜日。晴れ。
夜中に雨。6時過ぎ起きる。
1999年3月20日。土曜日。雨。
4時過ぎに帰る。夜は読書。午後は雨も止むが寒い。
1999年3月21日。日曜日。雨。
5時頃目覚ましが鳴る。次女が広島で記録会に出ると言うことで早く起きるらしい。朝ゆっくりと新聞を読む。
112 89 p52 19:47 「薄雲」終わる。
夜、BSで『ベンハー』を見る。4時まで。
1999年3月22日。月曜日。晴れ。
風強し。
午後、学校へ。「朝顔」終わる。
『ブレイン』終わる。
147 106 p57 131 94 p58 0:04
1999年3月23日。火曜日。晴れ。
午前午後、学校へ。夜、H先生から電話。花見の件。それから博士課程の件。
1999年3月24日。水曜日。晴れ後曇り夜雨。
午後学校へ行く。学部附属共同研究の2校を出す。夕方帰る。井上靖の『真田軍記』の中の2編を読む。
135 92 p69
薬飲んで寝る。「乙女」終わる。
1999年3月25日。木曜日。晴れ。
今日は大学の卒業式・終了式で11時過ぎに行く。2時から学位授与式。5時から謝恩会。7時21分の電車で帰る。8時39分に大門に着く。
野原一夫編「作家になるには」(ぺりかん社)を読む。終える。おもしろいと思う。この中にも、井上光晴の三冊のノートに1冊は朝から晩まで起こったことを皆書く。2番目に自分の意見を書く。3番目は空想を書くというのがあった。以前、やっていていつの間にかやめたものだ。また始めようか。 ABCとする。
A 朝テレビで甲子園の開会式を見る。選手の笑顔がいい。熱中することはいいことだ。高野連の厳しい規則により喫煙や暴力が連帯責任で抑止されている。いいことだ。
B 北朝鮮の不審漁船は拿捕すべきだった。
1999年3月26日。金曜日。雨のち曇り。
朝7時頃目が覚める。6時前に帰り、夕食。ウイルス論文集が出てくる。
B:北朝鮮の不審船への政府の対応は非常に生ぬるい。このような状況では国民は一挙に好戦的になり軍国主義に荷担するであろう。また、アメリカのユーゴへの爆撃を日本政府も支持している。それだけならまだしも、ユーゴ大使を呼んで和平交渉をするように説得もしているのだから、まったくナンセンスものである。日本がとやかくいう問題でもあるまい。
11時過ぎに寝る。薬飲んで寝る。
1999年3月27日。土曜日。雨。
雨が降っていたが、予定通り高知に向けて出る。9時に家を出て、笠岡から山陽道に乗り、瀬戸大橋、四国道、高知道で南国まで。南国で高知道を出た頃から幸いなことに雨が止む。南国市で国分寺、紀貫之住居跡、国衙跡を見て、黒潮街道を通って桂浜へ。その後グリーン会館にチェエクインして歩いてはりまや橋へ。
国分寺 白装束に 桜舞う
お遍路の鈴もとけゆく南国の空
国衙跡の立て札隠すビニルハウス 国分川の水澄みて流る
1999年3月28日。日曜日。晴れ。
朝8時頃朝食。9時頃出て、高知城駐車場に車を止めて、高知の朝市散歩。その後、二人が高知城へ。三人は車で休む。11時頃から、五台山へ。展望台を経て、竹林寺、植物園へ。高知道を目指しての帰り道昼食。2時頃に高知インターへ。4時半頃帰る。
石段を登る朱塔や桜花 遍路の祈り境内に流る
熱帯の植物の植えし硝子屋に 眼鏡曇りて子らに遅れし
人移る報せを載せし増刷に 懐かしき人の名前ありき
1999年3月29日。月曜日。晴れ。
4時に起きる。近藤完一『現代技術の論理』(東洋経済新報社)を読む。まさにこのとおりなのである。財界主導の開発型経済が、海を奪い国土を奪って、都市部と農村部の格差を増大し、過密化・過疎化を促進した。しかし、一方では、このことによって多くの国民が豊かになったと感じているのだから、このような本との間の格差が生じる。
あさぼらけ紫の光り窓に入り 雀小鳥も春を言祝ぐ
9時に学校へ行く。IPアドレス番号をもらい、パソコンの設定を直す。
10時から99年度総合学習委員会へ、研究部として参加。昼ご飯を食べに帰る。1時から、データベース委員会。こちらはまだ任命されていないが、畦先生を呼んで、金本、高地先生の4人で話しあう。
5時前に学校を出て、東郵便局に、地域振興券を受け取りに行く。多くて混乱していた。馬鹿なことをするものだと思う。
「玉鬘」を終える。どっと疲れが出る。姿勢が悪いせいか。
1999年3月30日。火曜日。午後雨。
春霞 裏の子犬の声を聞き 今朝は冷えると思いつつ起き
11時頃、子どもらを映画館へ送る。午後、学校へ。紀要送付の件。3時に迎えに行く。その後、歯科医院へ歯のはずれたところをくっつけてもらいに行く。540円で終わる。
読書いろいろ。「初音」終わる。
1999年3月31日。水曜日。晴れ。
6時過ぎ起きる。春の雨やみても空は曇りけり