夕凪亭別館

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1987年1月

1987     1月玉野光南高校
         4月岡山県教育センター
 
 
昭和62年1月01日。木曜日。晴れ。
 今日は元旦の割りにはよいお天気だった。
 午後、白滝山へ登る。何年ぶりだろうか。4年ぐらいになる。山頂は木も少なく破壊のあとがいちじるしい。西洋館は人が住んでいないようだった。
 
昭和62年1月02日。金曜日。曇り。
 今日は雨が降るらしい。朝から暗く、どんよりした天気である。歩いてお宮にでも行ってこようと思っていたが、こういうお天気ではちょっと外出しかねるではないか。
読書のほうもまずまずのすすみ。「日本の名著」の中の本居宣長を読む。この人の自信が鼻につくが.おもしろいと思った。
 それから、昨日は芥川竜之介の「薮の中」を読んだ。よくできている。死人に口なしということか。それから三島由紀夫の「仮面の告白」を読んでいる。これはもう、10年以上も読んでいない本だから、また格別の感動がある。いま読むと言葉がよくわかり、以前とは多少違った感じがする。
 そのほか、辻邦生ギリシャ悲劇、漱石ドストエフスキーなどの本を手元に置いて読んでいるのだが、読書の時間が少ないのが残念だ。年末の飲み会を少し控えるべきだろうか。いやあの程度はまあつきあいのうちにいれておいてもいいかもしれない。
 
昭和62年1月04日。日曜日。
 岡山にて。朝、6時前。
 少し早く寝たせいか、4時半頃目がさめ,新聞を読んだりする。
 昨日の2時頃因島を出、夜岡山に帰ってくる。新聞は山のようにあり、時間の短さに苛立つ。あわてず自分の好きなものだけを今年も読もうと思う。
 人類の知的遺産の中の「ドストエフスキー」(内村剛介)を読んでいる。前半のドストエフスキーの伝記のところをおわったところだが、異常に刺激的だ。生涯そのものが余人を寄せつけぬところがあるように思う。魂を振るわせられたという感じだ。こういう人の生きかたはまねができないし、またまねるべきでもなかろう。
 
昭和62年1月05日。月曜日。雨。
 今年最初の出勤をする。今日から補習。僕の補習は明日からであるが、プリントの準備もあるので学校に行く。
 角川文庫で横溝正史の「鴉」と「トランプ台上の首」を読む。なかなかよくできている。このような作品を書かなくてはいけない。
 
昭和62年1月06日。火曜日。晴れ。
 学校にて。ワープロを僕の机の上に置いてみた。椅子と机の高さが会わないのか,指が巧く動かない。そのうち慣れるのかもしれない。いつも机の上に置いておくというのも便利かもしれない。
 食器戸棚のガラスを注文に昭和硝子へ行ってくる。
 二人の子供らはまだ寝ないのだが、9時からワープロへ向かうのは遅すぎるので、少し早めにこちらへきた。
 
昭和62年1月07日。水曜日。晴れ。
 今日は補習はない。桔梗さんが耳鼻科と歯科へ行くので家で子供の面倒をみることにして、学校にはいかないことにした。
 
昭和62年1月11日。日曜日。晴れ。
 朝からよいお天気。今日は金甲山駅伝の日。11時前ころより天満屋ハッピータウンの前へ行って応援する。
 アノラックを買ったり,洋服の青山ジャスコへ行ったりする。
 
昭和62年1月12日。月曜日。雪。
 朝から雪。昨日まで暖冬異変だったから,ちょっと信じられない感じだ。
 今日は月曜日で5限の授業が一つあるだけだ。実験でもしてみたいところであるが,何となく動くのがおっくうではないか。
 カメラをひとつ買おうと思う。ストロボ付き,月日入りが最低条件。ハーフでよいと思うが,35ミリのほうが引き伸ばしたときにいいという声もある。ややそちらに傾いてきた。
 日動火災から研究助成金五万円の決定の通知が来る。今年は、スタートから幸先がよいではないか。こちらの方面でも大いに頑張ろうと思う。
 問題解法事典を作りかけて家にまで帰って仕事をしたのがペースを乱した元である。
 「罪と罰」を今日から読み始める。いつもより文章に惹かれるから不思議だ。
 
昭和62年1月13日。火曜日。曇り一時雪。
 昼に一時間ほど雪が降った。昨日より暖かかったせいか,積もらなかった。
 今日は比較的のんびりできた。内村剛介の「ドストエフスキー」を終えた。このひとの文章に魅了された。作品のほうはきのうから「罪と罰」を読んでいる。
 それから村山源氏を少し読む。
 現代の問題とは何か。世代の断絶。……
 
昭和62年1月15日。木曜日。曇りのち晴れ。成人の日。
 朝、娘を眼科へつれていき、その後「カメラのキタムラ」へ行って、キャノンのオートボーイ3クゥオーツデイトを買う。38600円。
 午後、いつものように昼寝。源氏、罪と罰ドストエフスキー論などを読む。
 夜テレビで「江戸川乱歩の陰獣」の映画を見る。その後寝ようとしたが昼寝が長すぎたせいか目が冴えて寝られないので起きてテープの整理などする。本の整理は最近楽しみがなくなったが、写真や色々なものの整理は生活の楽しみでもある。
(別のノート)
 今日は遠出はしないつもり。
 東側の部屋に電気炬燵(電気と言わずとも,炬燵と言えば電気炬燵に決まっている)を出して,新聞を読んだ。次に,「罪と罰」を読んでいる。描写が素晴らしいと思う。
 
 
昭和62年1月16日。金曜日。晴れ。
 今日は4時間授業の忙しい日。午後、進路の文書を打ったりしてのんびりとした時間がなかった。
 
昭和62年1月17日。土曜日。晴れ。  
 暖かい朝だった。風は強い。
 プリントを刷り、源氏の「梅枝」を読んだところ。少しずつ読めばよい。香料の話がおもしろかった。現代でいえば,頭にドライヤーをかけるくらい日常茶飯事だったのだ。それにしてもそれを贈りものにするというのだから,これまた現代の常識でははかりがたい。こちらは一介の庶民。物語の世界は天皇家とその周囲のことだから,単純におしはかるほうが無謀というもの。
 今日は尚志会児島地区会で鷲羽ハイランドホテルで4時から宴。
 
昭和62年1月18日。日曜日。晴れ。
 辻邦生の「パリの手記Ⅴ」をやっと終わった。最初のを読みはじめてから何年になるのだろうか。その間は僕にとっても小説とは何かということを問続けた時期だったように思う。そしてなんと多くの思考の糧をこの書から与えられたことか。
 「文芸読本ドストエフスキー」を昨日終えた。途中相当飛ばしている。まあダイゼストだからこういう読み方もいいだろう。それにしてもドストエフスキーほど一筋縄でいかぬ人物も珍しい。
 昨日の尚志会は楽しかった。というのは会場の鷲羽ハイランドホテルへ行く道中が実に愉快だった。
 2時過ぎに当新田のバス停から児島行きの下電バスにK君と乗った。バスは30号線を南下して秀天橋から「かもじ峠」を経て児島についた。その間約1時間。天気もよくかっこうの遠足。時間も十分あったので電車でいくことにした。回送のバスに乗せてもらって電車の駅まで行き、いよいよ生まれてはじめて下津井鉄道に乗るわけだ。乗ってみてびっくり。小さな古い車両の中はうすよごれてきたない落書きだらけ。これは自由に書いてもよいということでそうであるが,それにしても少し汚い。その落書と旧式な古い車体が実にローカル色を出していて,乗っているだけで楽しい。ローカル色といえば,乗っているお客さんが実にローカル的だ。やがて電車は走り始めた。その直前、うしろのほうからホームを走ってくるひとが3,4人。乗客の誰かが「のしてあげて」と言ったりする。その人たちも無事乗れて、電車は走りだした。横によく揺れる。住宅にそって走っていたのでしきりに運転手は警笛を鳴らす。その音ののどかなこと。やがて山道を上り始めた。左手に瀬戸内海が見える。よく晴れていて青い海が眼下に広がっているのがきれいだ。電車はまさにゴットンゴットンという感じで山道をすすんでいく。目的地の鷲羽山に着いた。Kが降りて、僕が鷲羽ハイランドホテルは近いのかと運転手に聞くと、下津井からのほうが近いという返事だったので,一度降りた河田君もまた乗って終着駅の下津井まで行った。港のとなりだ。
 そこから20分近く歩いて着いた鷲羽グランドホテルには尚志会で予約はとられてないということだ。フロントの人が電話で問合わせてくれて鷲羽ハイランドホテルだということがわかり,タクシーでそこまで行った次第。実に楽しい小半時だった。
 
昭和62年1月20日。火曜日。晴れ。
 外は寒い。夜になって少し寒くなてきた。昨日が寮の泊り。
 昨日の昼は高分子のアンケートの作成で一日潰す。今日それを発送する。
 「罪と罰」を少し。だいぶ進んだ。「未成年」に比べたらかなり読みやすい。何しろ主人公の視点で書かれているのがいいのだろうか。このように叙述が複雑でも作者の目が一つであれば,かなり読みやすくなる。
 
昭和62年1月21日。水曜日。晴れ。
 今日で3-1の化学が終わった。明日で3年生の授業も終わる。
 放課後,実験。フェノール樹脂を作る。ホルマリンの匂いにはかなわないが簡単にできる。この匂いの問題も研究の余地あり。きょうから研究成果報告書の作成に入る。
 
昭和62年1月22日。木曜日。晴れ。
 今日も寒い朝だった。車の前には霜が氷となってかたまっていた。昨夜遅くまで授業用のフロッピィの整理をしていたので,今日はかなり眠い。
 
昭和62年1月26日。月曜日。晴れ。
 昨日共通一次試験が終わった。なんとなく虚脱感。
 落合信彦の「日本がたたきつぶされる日」「2039年の真実」「男たちのバラード」「モサドその真実」「ザ・スパイ・ゲーム」の5冊を金曜日から昨日までずっと読んでいた。その間、共通一次の下見,付き添いで岡大へ行った。それ以外は何もせず。気がつけばもう26日。眠くて寒くて,風邪をひきそう。
 
昭和62年1月28日。水曜日。晴れ。
今日は3年生の学年末考査。昨日遅くまでかかってつくる。今日は少し風邪気味。さきほど,明日からの掃除の変更をプリントにして配ったところ。採点にもまだかかっていない。まず,採点ぐらいから初めなればと思う。小説も読んだり書いたりしたいところだが,いろいろとすることが多くてなかなかままならぬものど。しばらくは,高分子のほうの研究をすすめなければならない。きのう3年生の卒業アルバムができた。まずまずのできだと思う。
 夜。家に帰って少し咳がやんで喉の痛みもとれて楽になった。
 赤川次郎の「三姉妹探偵団」を読んだ。こういうのを書いてどこがおもしろいのだろうかと思う。こんな小説には人生がない。書くだけむなしくならないのであろうか。もっと現代の諸相を描くべきだ。たとえば,三浦朱門の朝日に連載されている小説にあるように,女子大生の生きかたとか。その中では卒論がまずいということにからめて,「興味や関心の持ちかたがちがう。どこそこのアイスクリームがいいだの,そこそこのは最低だとか……。そんなのに限ってメルウィルの「白鯨」だのをやりたがる。……」こういうようなのならまだ読んでもおもしろい。
 目が,特に左目がおかしい。
 
昭和62年1月30日。金曜日。 晴れ。
 風邪を引いた。きのう内科医院へいって診てもらってからずっと寝ていた。今日は休暇にした。一日中寝ていたが夜になって起きて風呂へ入った。少しなおったようだが,まだ元気がでない。
 
昭和62年1月31日。土曜日。晴れ。
 大変よいお天気。風邪はまだ充分なおったとはいえないが,学校に出てきた。動いていると気にならないが,少し寒いところにいたらまた喉がいたくなりそうな気配である。しかし,いつまでもマイナーな生活を続けるわけにはいかない。今日ぐらいから本格的に仕事をしなければと思う。
 午後3時53分。今日は一時過ぎに学校をでてきたので家でゆっくりとしている。Mさんから手紙。そのあと新聞を読んで,それから写真をはったりした。さて何をしようかと考えてみても今日は取り立ててすることはない。フロッピィの整理でもしようかと思う。かぜのほうは鼻水が少しでるがすっかりよくなった。