1972年10月
1972年10月2日。月曜日。
昨日,二年生の女子学生が自殺をした。朝,Kが帰ってきて教えてくれたときは,ただ人ごとと考えていたけれども,夕暮れに大学から帰ってふと考えてみると,何故だか他人ごとでは済まされないようなものを感じる。この春読んだ「二十歳の原点」の著者もやはり,国史の女の子であった。
1972年10月5日。木曜日。
9時から文化人類学の試験があった。昨夜,Kとやっていたところがちょうど出た。これで試験はすべて終わった。
倦怠感に襲われてしまうが,ここで頑張らなければと思う。午前中Kと本通りを歩く。
午後図書館で勉強をするつもりだったが,気持ちのが乗らないので宝塚会館へ映画を観に行った。例のゴッドファーザーである。大変面白かった。ギャング映画のようではあるが表現の強さと音楽がよかった。もう一度観てもきっと楽しいだろう。
川端康成の「みずうみ」を読んでいる。昨日,「変身」とともに買ってきた。映画を観たせいか,試験後の虚脱感に襲われることなく,静かな秋の夜を送っている。
1972年10月9日。月曜日。雨。
また、他愛のないノートをひとつ作った。
最初のものから数えると何冊になるのだろうか。
以前のものは何も残っていない。
このノートも、いつどこでどののような運命に出合うかわからない。
あるいはまた、僕の最後のノートになるかもしれないのだから。
というのは、僕がこのノートが終わらないうちに死ぬかもしれないということだ。人の命なんてはかないものだから、僕の意志とはかかわりなしに、どこで死ぬかわかったものではない。
また、僕のことだから、計画にない自殺を発作的に遂行するかもしれない。そんなわけで、たいへん不安定な宿命をもったノートだが、―多分10冊目ぐらいなのだが―また書いてみよう。
1972年10月12日。金曜日。
広島に帰る。
東浜より乗船。14:10
現在、尾道ゆきの船の中。
ちょうど。新月の大潮で、今、満潮である。空は青く、雲は白い。
海はさみどりに清く、
さざなみがかすかにゆれる。
午後の日が、あたたかく頬をうつ。
1972年10月15日。日曜日。
昨夜,Mと深夜映画を観に行った。彼のオートバイの後に乗るのははじめてだった。夜の舗装道路を痛快に進んだ。秋の夜風が冷たかった。
1972年10月16日。月曜日。
今日から後期が始まった。
早速,時間表を組み,聴講カードの提出を始めた。例によってきびしい学期となる予定だが,案外に,スムーズに行きそうだ。今日わかったところによると,力学AがC,英語山元がC,専門の無機も単位があった。Kはこの三つとも落とした。現在のところ船越先生も欠もつけなかったと思うのであるから,あと落としそうなのは電磁気Aと,武田先生のドイツ語だけであるから,なかなか調子がいい。
1972年10月22日。日曜日。
後期が始まって一週間たった。
やっと勉強する気がおこったようだ。
三千円の万年筆だがどうも使い心地がよくない。三千円にしては使いにくい。二千円ので我慢しておくべきだったかも知れない。それとも授業中の乱用がいけないのかも知れない。
1972年10月30日。月曜日。
10月も明日で終わりだ。
相変わらず,独語の単語調べと,練習で忙しい。化学や物理,それに数学の勉強をもっとやりたいし,科学系非科学系を問はずもっと本を読みたいのだが,時間はあまりにも短く,独語はあまりに多くの時間を要す。
つい最近,M君のところからラジオ付きテレコを借りてきたので,以前録音していた軽音楽を久し振りに聞いている。やはり,音楽はいいなと思う。心にジーンとくるのもあれば,センチメンタルな気分に沈ませてしまうのもあるし,明るく朗らかかに思わず口ずさみたくなるようなのもある。これらのものにいかに深く,いかに多く,自分の心は影響を受けているのだろうか? -それはわからない。しかし,かなり深く,かなり多く-といっていいであろう。
また僕の悪癖の一つが始まるのだが,ここで一つの文章論について述べてみよう。
最近つくづく思うのだ。自己表現とは自己隠蔽に他ならないと。すなわち,自己表現しようとすればするほど,あるいは,自己表現したように,他人にも自分にも思えても,よく考えてみると,肝心の自己は何処にありや? その文章の背後に隠れてしまったではないか。それでは,そもそも文章とは何か? 他人の目を欺くための煙幕に他ならないのか? シェークスピアを見よ。彼はあれだけの人間性を提示し得た。もし,それらが彼の示した人間性の四分の一以下であったとしたら,我々はそれを彼自身のものとみなすであろう。ところが現実はどうか
彼は彼の全作品中で,可能だと思えるすべての人間性諸相を示した。それゆえ,その作品中の何処に,誰に,シェークスピアが扮してしるか,知るものはないであろう。シェークスピアなどという人物はいない。ただ,作者のシェークスピアがいるだけである。
1972年10月31日。
今年も残るところあと二ヶ月だ。この日記帳はちょうど半分あたりしか終わっていない。