夕凪亭別館

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1992年4月

1992年4月1日水曜日。晴れ。
 レンタルビデオで「ターミネーター2」を見る。夜、衛星第二で、森村誠一原作の角川映画野性の証明」を見る。
 
1992年4月2日木曜日。晴れ。
 昼は芦田川べりに弁当をもっていって食べる。
 夕方より6年の応援団合宿の宿泊付き添いのために学校へ行く。
 落合信彦「憎しみの大地」(小学館)を終える。
 夜、衛星放送で西村寿行原作の角川映画化石の荒野」を見る。
 なかなか寝付けないので「消える『水晶特急』」を4時頃までかかって読み終えた。
 
1992年4月3日金曜日。晴れ。
 朝、9時半に家に帰る。その後、小説を読んだり、物理を勉強したり。
 午後、昼寝。夜、また勉強。
 「史記を語る」等を読む。
 
1992年4月4日土曜日。雨。
 朝起きると雨はまだ降っていなかった。バスで行こうかと思っていたら、ポツリポツリと降り出して、結局、車で学校へ行った。
 8時過ぎに着き、久し振りに「フーシェ革命暦」を読む。その後、新潮古典文学アルバムの「ユーカラ・おもろさうし」を少し読む。また、清水義範の「国語入試問題必勝法」中の「時代食堂のメニュー」を読む。
 10時から会議。午後学年会。例によって延々と2時間半。
 4時半に帰って、物理、化学の本を読む。
 夜、短篇集「国語入試問題必勝法」(講談社)終える。
 10時より衛星第2で、つかこうへい原作の角川映画「二代目はクリスチャン」を見る。喜劇であるが後半、悲劇になり、結局喜劇か悲劇かわからない中途半端なものになっている。
 その後、三島論を少し書く。
 
1992年4月5日日曜日。曇り。
 雨はあがった。しかし、晴天、快晴というわけではない。薄曇りである。
 「史記を語る」を少し読む。書かれたものをすべて信じた司馬遷には誤りもあるという指摘あり。
 午後、テレビを見ていると岡山のH先生から電話がかかった。花見に福山城に来たということで、お誘いの電話であった。すぐにビールとお寿司を買ってかけつけるとお城の公園で酒宴がはじまっていた。桜は八分咲きであるが、もう満開の趣があった。
 以前の同僚6人であった。色々と談笑。楽しく懐かしい話に花を咲かせる。
 6時前に帰って少し寝る。
 夜、化学の本を少し。三島由紀夫「純白の夜」を少し。
 
1992年4月6日月曜日。晴れ。
 始業式。学年会議。2時間も。
 整理。6時前に学校を出る。
 夜、「史記を語る」と「純白の夜」。
 
1992年4月7日火曜日。晴れ。
 昨夜は小説が少し進んだ。本日はバスで学校へ行く。「フーシェ革命暦」を少し。それから「ユーカラ・おもろさうし」(新潮古典文学アルバム)を読む。
 朝、眼鏡のフレームが折れた。半日眼鏡なしの生活を送る。見えないということは都合のいいこともある。
 学年ロング、クラス写真、入学式後の体育館の後片付け。その後、六年のテスト作り。
 夕方、「ユーカラ・おもろさうし」を終える。これでこの新潮古典文学アルバムの全巻を読んだことになる。軽い読み物だったが、日本の古典の概略がわかったというだけでも意義があった。6時40分のバスで帰る。
 夜、「純白の夜」を終える。たいへんおもしろかった。しかし、またこういうことはありえないということのほうが強い。
 
1992年4月8日水曜日。晴れ。
 バスで学校へ行く。車中は、「史記を語る」を読む。
 学校で「フーシェ革命暦」「新潮古代美術館1」「平家物語上」と「The Old
Man and the Sea」を読む。2、3は六年のテスト。
 午後、五年のテスト作りと添削作り、あすの補習の準備。6時すぎにY先生の車で帰る。帰ってすぐに食事、入浴そしてワープロに向かって今8時10分。
 伊勢が丘の桜が満開だった。夜には散り始めたのだろうか。
 
1992年4月9日木曜日。晴れのち雨。
 朝7時28分のバスで行き、8時から8時40分まで化学の補習。
1限は5年のテスト。3限は学年会。5限はロングホームルームでクラス役員を決める。2、4限は6年のプリント作り。4時頃より理科会。6時すぎより、ステーキハウス都で理科の新年度会合。Y先生と歩いて帰る。9時すぎに家に着く。風呂へ入って、テレビで横溝原作の「悪魔が来たりて笛を吹く」の後半を見る。
 一昨日の新聞にアシモフ博士の逝去を伝えていた。博士の作品はほとんど読んでいないが、その生き方は私の憧れであったということをここに記しておきたい。ご逝去を悼む。
 
1992年4月10日金曜日。雨のち晴れ。
 朝雨がよく降っていたので車で学校へ行く。8時前に学校へ着いて、
フーシェ革命暦」「新潮古代美術館1」「The Old Man and the Sea」と「原 子物理学」を読む。1、3、4、6が授業。5年のプリントを作る。
 放課後、「新潮古代美術館1」を終える。
 6時前に家に帰る。早く帰ったのに眠たい。
 
1992年4月11日土曜日。曇り時々晴れ。
 車で学校へ行く。8時前に学校へ着く。「フーシェ革命暦」「新潮古代美術館2」と「The Old Man and the Sea」を少し読む。
SHRへ行き、その後、机のうえを少し片付ける。10時前に学校を出て因島に帰る。本の整理。竹の子を取りに父と山へ行く。
 夕食を食べて福山に戻る。
 夜、子どもと一緒にいるとまたまた寝てしまった。これではいけない。適当なところで仕事をしなければ。
 
1992年4月12日日曜日。曇り時々晴れのち雨。寒い。
 昨日よりはよく晴れているが、午後はどうなるかわからない。
 朝、ビデオの整理。昨日、劇団四季のミュージカル「王様の秘密」を録画した。まだみていない。朝、「2010年」を英語で少し見る。半分もわからない。
史記語る」「史記1」(朝日文庫)を少し読む。家から本を少しもってきた。
 新潮文庫、三島短篇集「花ざかりの森・憂国」で「花ざかりの森」「中世に於ける一殺人常習者の遺せる哲学的日記の抜粋」を読む。
 
1992年4月13日月曜日。曇り時々晴れ。寒波到来。
 きわめて寒い一日。朝、車で行く。「フーシェ革命暦」「新潮古代美術館2」「平家物語」等を読む。「The Old Man and the Sea」を読むには時間が少なすぎ る。123限が授業で、あと机のまわりを片付けたり、6年のプリントに追加したりする。江戸文学史人情本等について読む。
                
1992年4月14日火曜日。曇り時々晴れ。寒い。
 朝、バスで行く。「フーシェ革命暦」「新潮古代美術館2」「平家物語」等を読む。昼休みと夕方、漢文、謡曲、日本史、「The Old Man and the Sea」などを 読む。6時前のバスで帰る。夜、石山徹郎「現代文学『散文』評釈」を少し読む。なかなかおもしろい。
 
1992年4月15日水曜日。晴れ後雨。
 春なのに今日も寒い。朝、車で学校へ行く。 「フーシェ革命暦」「新潮古代美術館2」「平家物語」等を読む。今日は新入生歓迎会。応援団の結団式を見て、あとはプリント作りと読書。日本詩論、謡曲、岩波講座日本史、国文学、イギリス文学史。それから、量子化学、「原子物理学」、ディラックの「量子力学」などなど。6時過ぎに帰る。夕食はお好焼き。夜、森武之助「国文学古典研究Ⅱ」(慶応通信)を読む。たいへんおもしろい。               
 
1992年4月16日木曜日。晴れ。
 やはり今日も寒い。朝バスで行く。途中でU君と出会い少し話しをする。K君が一宮高校へ行き、Mさんが操山高校から笠岡へ変わられた由。また勉強会をやろうということ。
 8時より補習。15人程。1限は5年生の授業。後はだいたい読書。森武之助「国文学古典研究Ⅱ」(慶応通信)を終える。宮崎市定史記を語る」(岩波新書)終わる。
 6時前、Y先生の車で帰る。夕食はさぬきうどん。冷凍うどんを先日因島よりもらってきていた。夜、「鎌倉執権政治」と石山徹郎「現代文学『散文』評釈」を読む。同書中の幸田露半の「一口剣」を読む。おもしろい。
 
1992年4月17日金曜日。晴れ。しかし、寒い一日。
 バスで行く。「鎌倉執権政治」「フーシェ革命暦」「新潮古代美術館2」「平家物語」等を読む。4時間授業、それにテストの採点で読書はすすまず。
 夜、石山徹郎「現代文学『散文』評釈」を読み終える。
 夕食は小鰯の煮付け。かいわれ大根。野菜。         
 衛星第二でアメリカのテレビドラマ「美女と野獣」を少し見る。
 三島由紀夫「卵」読む。こういう純粋な遊び心から書かれた作品というのは作者の宿命も何も考えなくていいので安心して読める。
 岡山のS先生より先日の花見の写真届く。
 
1992年4月18日土曜日。晴れ。
 朝、車で行く。「フーシェ革命暦」まさに革命前日の6月23日、国民会議が国王によって無効と宣言され、軍隊が一部出動した。まもなく民衆蜂起、バスチーユ解放となるであろう。「新潮古代美術館2」「平家物語」等を読む。その他読書やら採点やら。1時過ぎに帰る。車は暑いくらい。アトラスに寄り西瓜、南京、トマトの苗を買って帰る。家では「創世記」「井上靖詩集」「史記」などを読みながら採点。3時半のバスで学校へ行く。「言葉の王国」を読む。Y先生と爆発の実験をする。5時の送迎バスで労働会館へ行き、5時半から鮫鰐会の歓迎会へ参加。確か六千円の飲み放題だったか。料理は刺身、天婦羅、茶碗蒸し、吸い物、グレープフルーツに他に皿物が二品でまずまずか。8時10分に送迎バスで学校まで帰り、山田先生と8時半のバスで帰る。
 夕食のカレーを食べ、風呂へ入って寝る。
 
1992年4月19日日曜日。雨のち晴れ。
 夜半から雨。朝起きたときは止んでいたが、いまは再び降っている。やや寒いのでストーブを入れようかと思う。
 午前中採点。三島の「詩を書く少年」を読む。これはよく出来ている。
 午後、息子と山へ登り大谷台小学校のところを通って帰る。鶯が木の間を猗猗(いい)として囀り若葉が眩しいいい陽気であった。
 
1992年4月20日月曜日。晴れ。
 やっと春らしくなった。朝、車で行く。ラジオフランス語講座を聞く。学校で「フーシェ革命暦」を読み、後、テストの点の転記、模範解答の印刷。
 1、2、3限が授業。6年のプリント作り。少し読書。放課後、研究部研修会。6時前に帰る。小説3枚くらい書く。食事は鰺の南蛮漬け、青菜のゆがいたもの。やはり、早く帰って机に向かうと気持ちがいい。書く気になっているときにできるだけ書いていおくべきである。いまも物理の勉強をしたいのであるが、敢えてしないようにしないようにと努めている。物理はもちろんのこと読むよりも書くことにエネルギーを費やしたい。夜、三島由紀夫の「新聞紙」「牡丹」読む。「史記」を少し。
 10時より11時半までジャン・コクトー監督の「美女と野獣」を見る。人形の動きなどはシュールレアリズムでコクーらしくてよいではないか。朝日新聞ドナルド・キーン氏が「声の名残」を連載している。三島関係のところはスクラップすることにしている。
 
1992年4月21日火曜日。晴れ。
 暖かくなった。幕山はもちろんのこと学校でも鶯が囀っている。今朝はバスで行く。「言葉の国」を読みながら行く。「フーシェ革命暦」と「新潮古代美術館2」清水義範平家物語」など読む。2、5、6が授業。開いた時間は全てプリント作り。5時半のバスに乗って帰りすぐにワープロに向かう。眠くなる。本日は衛星第二で映画「恐るべき子供たち」をやっているが録画することにして今日は見ないことにした。今日も、というより今も眠くてワープロのキーボードまで擦れて二十に見えてきた。もう寝ようか。
 詩集などを読む。マーク トウェインの「実話」を読む。よくかけているが、なかなか切実な話しで形式だの主題だのと論評しかねる。たしかに時代の衣装を見事に写している。
 
1992年4月22日水曜日。雨後晴れ。
 夜半大雨。朝も雨が降っていた。車で行く。フランス語講座を聞く。やはり耳で聞くことが大切だと思う。「フーシェ革命暦」はいよバスチーユの登場である。「新潮古代美術館2」。「言葉の国」。
 午前中に雨は止む。2、3、4限が授業。他の開いた時間は5、6年の講義プリントの改訂作業と印刷。
 6時前に帰り、夕食。焼き魚、青菜、豆腐。
 
1992年4月23日木曜日。晴れ。
 長女誕生日。今日はやや暖かい。子供たちは遠足。朝バスで行く。8時より補習。典型金属元素を終える。20人くらいか。1限に5年の授業。3限は学年会。5限はロング。進路の紙の複写。
 開いている時間は読書。「平家物語」、巻一終える。山本健吉編著「日本文学24講」「The Old Man and the Sea」など読む。午後はプリント作り。6時頃 Y先生の車で帰る。すぐに夕食。焼いた肉少し、豆腐など。風呂上がり「The
Old Man and the Sea」、「世間胸算用」の巻4を読む。
 
1992年4月24日金曜日。晴れ。一時雨。
 バスで行く。バスの中、清水義範「ことばの国」(講談社)を読む。帰りも、夜も。そして終える。多少知らないことがあって教えられた。
 8時前より「フーシェ革命暦」。半分くらいか。「新潮古代美術館2」を少し。1限が5年。配位結合と共有結合の結晶。2限理科会。3、6限が6年化学平衡。4限が中3、電力量。他は読書。「日本文学24講」など。
 6時前のバスで帰る。夜、ウィーンフィルの歴史を衛星第2で見る。おもしろい。オペラはもとより、やはりステレオであれば映像が伴うのが迫力があっていい。夕食は南京の煮物。夜はねむたくて10時には寝る。
 
1992年4月25日土曜日。晴れ。
 朝バスで行く。「フーシェ革命暦」。大変おもしろい。国民会議派へ向けていよいよ軍隊の出動である。「新潮古代美術館2」を読む。「鎌倉執権政治」は行き帰りのバスで読む。ショートホームの後、奨学生の推薦調書を書く。12時過ぎのバスで帰る。13時より衛星第二で宝塚星組公園「紫禁城の落日」を見る。宝塚を通して見るのは初めて。華やかでよい。意外と演劇性がある。それにみんな歌がうまい。その後。マーク・トゥエインの「ハドリバーグの町を腐敗させた男」を読む。実に凝った小説で、彼らしくてよい。ただ、人物等で翻訳に配慮してほしいところが何箇所かあった。新潮文庫のこの短篇集をやっと終える。
 夕食は他人丼。
 
1992年4月26日日曜日。晴れ。
 やっと春らしくなった。午前中、「世間胸算用」(角川文庫)を読む。
午後、宝塚雪組公演「華麗なるギャギャッツビー」「ラバーズコンチェルト」を衛星第2で見る。その後、息子と山へ散歩。まっすぐ東へあがって右手へ5丁目の上を通る道を初めて通った。帰ってから再び長者、息子を連れて山へ。今度は鉄塔の下から北へ大谷台小学校のほうへ歩いた。帰って夕食。夕食はトンカツ。
 夜は、化学のプリント(6年)の印刷。
 
1992年4月27日月曜日。晴れ。
 朝、車で行く。「フーシェ革命暦」、「新潮古代美術館2」。1、2、3が授業。6年は二酸化窒素による圧力と平衡のの移動。5年は極性分子。
 4限は図書館へ行き、円地文子近松物語」(平凡社)とフォーサイスの「ネゴシエイター」(角川書店)を借りてくる。その後読書。西脇順三郎「近代英文学史」(慶応通信)を終える。
 他に、岩波講座日本史、「平家物語」、英文のサイエンスの本など。
 短縮で午後5時半まで会議。
 夕食は鰺の塩焼きと豆腐。夜、「井上靖詩集」、「創世記」など。
 1時頃まで小説を書く。4、5枚か。
 
1992年4月28日火曜日。晴れ。
 バスで学校へ。車中では、円地文子近松物語」(平凡社)中の「国性爺合戦」を読む。学校に着いて、コナラ、ライラックハナミズキの小枝をとり観察する。クラスの連絡を黒板に書き、すぐに歩いて東福山駅へ行く。福山より新幹線で広島へ。車中では「国性爺合戦」を読む。広島について駅ビルでお好焼きを食べる。老後は広島に住んで散歩がてらにお好焼きを食べにいくのもいいなあと思う。そういう生活はかつてあったが。そば、肉卵入りで700円。その後、電車で大学へ。専門学校の制服を着た生徒が多い。11時より廃液センター管理委員会参加。12時頃終わり、歩いて紙屋町そごうまで行ったが残念ながら定休日であったので引き返し、本通りの丸善に行き、ShackespeareのAntony and Cleopatora、武田暁「素粒子」(装華房 )「新版文芸読本三島由紀夫」(河出書房)を買う。古本のアカデミーへよろうとしたら、ここも休み。電車で帰る。新幹線の中ではAntony and Cleopatoraを読む。福山で眼鏡のニュー田中へ行き眼鏡の注文をする。61000円。
 福山から電車に乗り(180円)東福山から学校まで歩く。今日は暑い日だった。学校では「素粒子」を少し読む。添削を少し点ける。5時55分頃のバスで帰る。
 夜は手巻寿司。ビールを買ってこさせ飲む。
 夜、「国性爺合戦」を読むもまだ終わらない。
 「井上靖詩集」、「創世記」など読む。小説を少し書く。2枚程度か。
 「国性爺合戦」を終え、「文芸読本三島由紀夫」を読み、3時頃寝る。
 
1992年4月29日水曜日。晴れ。
 次女誕生日。休日。朝から読書。「創世記」「鎌倉執権政治」など。
 午後、小説の打ち出し。夜はフロッピーのコピー。
 近松物語のうち「ひぢりめん卯月の紅葉」を読む。
 その後、補習用の問題演習。眠くて11時頃寝る。
 昼はカレー。夜もカレー。
 
1992年4月30日木曜日。雨後曇り。
 朝、車で行く。雨が降っている。8時より補習。遷移元素の性質。
一限は五年。ダイヤモンド、極性。2限はプリントの整理。3限は学年会。4限「卯月の潤色」を読む。5限は面談。6限は再びプリント整理。岡山のM君にプリントとフロッピーを送る。4時前から教官会議。6時前に帰る。去年の5年のプリント整理に終われる。
 岡山のK先生より「モル概念の変遷」という朝日高校の紀要抜き刷り送付。読む。労作であり、その一念に感動する。その後、「卯月の潤色」を読み終える。これにて円地文子近松物語」(平凡社)を終える。感動的な2編であった。
 夕食、オムレツとみそ汁。