夕凪亭別館

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1992年6月

1992年6月1日月曜日。晴れ。
 朝、8時に車で行く。「フーシェ革命暦」少し。13限は六年。テスト返却。2限は五年。化学反応式と量的関係。4限は食事。それから“The Other Side of Midnight”を読む。帰ってからも読んで、今384頁。もう少しだ。
 56限はアクリル板工作。放課後は研修会。夕食は鶏の唐揚げ。長女風邪。
 小説を少し書く。推理小説の構想に進歩があった。
 “Her”は55頁。
 
1992年6月2日火曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。バスの中は行きも帰りも“The Other Side of Midnight”を 読む。昼休みも読む。帰ってからも読む。今日は読みすぎ。今、420頁。いよい よ裁判に入る。洞窟の中でキャサリンを置き去りにしたあとで、キャサリンが蝙蝠に襲われるところで、「汚いスライム」というのが出てくる。蝙蝠の糞のことだろう。スライムというのはこういうときも使うのかと知った。
 「フーシェ革命暦」は11章に入った。こちらもいよいよ終局。
 2限は5年。テストの返却とまとめ。
 56は6年緩衝溶液。開いた時間はアクリルを切ったり、・・。今日より、教育実習。6時40分のバスで帰る。
 夕食はサラダ。鹿島の従弟より電話。
 
1992年6月3日水曜日。晴れ。
 朝、車検を出して、代車に乗って行く。「フーシェ革命暦」少し。1限は教育実習生の指導。藤谷先生大学より見えら、ろいろとお話をお伺いする。
 23限は6年の授業。水酸化ナトリウム水溶液とアンモニア水のpH測定。午後も藤谷先生と話をする。放課後は、プリント作りや準備室の片付けなど。
 “The Other Side of Midnight”は少し進む。今、427頁。
 7時過ぎに家に帰る。夕食はお好焼き。
 夜、十時過ぎに寝ると12時頃目が醒め、1時頃から3時頃まで“The Other Side of Midnight”を読む。442頁まで進む。
 
1992年6月4日木曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。8時より化学補習。1限は五年、教生の授業。ナトリウム。2限は反省会。3限は学年会。4限は準備室の片付けをしながら、食事。また、推薦入試用の評定平均値をだしたりする。放課後も同じ。5限はロング。
 Y先生の車で6時半頃帰る。夕食は鰯の煮付け。ソーメン。馬鈴薯の煮付け。
 三島由紀夫「月」を読んで、短篇集「花ざかりの森・憂国」(新潮文庫)を終えた。“The Other Side of Midnight”は少し読んで、今446頁。
 11時半。遂に読み終えた。
 Agatha Christieの“And Then There Were None”、Pocket Booksを最初から読 み始める。
 
1992年6月5日金曜日。晴れ。
 朝から風邪気。バスで行く。「フーシェ革命暦」少し。
 1限は五年アルカリ金属。教生。2限理科会。3、6限は6年中和滴定。実験の説明。特に安全ピペッターとホールピピペットの使い方。
 4限は3年。教生。電流と磁界。感光紙を使って磁界を表す。他は、器具の整理。
 6時半のバスで帰る。夕食は野菜炒めと、昨日の残りのソーメン。
 10時より、衛星第2で「クオ・バディス」を観た。大変おもしろかった。
 
1992年6月6日土曜日。晴れ。
 車で行く。朝から「フーシェ革命暦」(第二部)(文芸春秋社)を読み、やっと終える。2月12日からである。この歳になっても長編小説が読めることに感謝すべきか。第三部はあるのだろうか。多分、暫らく休んで書き続けるのではあるまいか。開いた時間は器具の洗浄。
 放課後、アクリル工作。
 4時頃帰り、2階で昼寝。しんどい。6時より夕食。夕食は鰯の煮付け。
 7時頃より妻と子供たちは矢掛へ蛍を見にいった。
 テレビで能「清経」見る。
 “And Then There Were None”は15ページ。 
  さらに寝る前に読んで19頁。
  夜は早く寝る。
 
1992年6月7日日曜日。雨。
 朝から雨。一日中家の中にいた。遅く起きる。「坊っちゃん」「クラリモンド」「渋江抽斎」など読む。
“And Then There Were None”は26頁。
“Her”は90頁。
 
1992年6月8日月曜日。晴れ。
 バスで行く。朝の読書は、今日から「ボバァリー夫人」になる。これは以前から読んでいたものであるが、今日から朝一番に読むことにする。今日で第一部が終わった。次に「ナイルの王とエジプト美術」を少し。
 1限3限が6年の中和滴定の実験の1回目。2限は5年。教生。炭酸水素ナトリウムと炭酸ナトリウム。4限は反省会と食事。その後、1時20分の電車で岡山へ行く。市内電車で表町の丸善へ行き、洋書を3冊求める。その後、タクシーでアルパルク岡山へ行く。着いてみれば何ということはない。以前の郵便貯金会館ではないか。そこで駿台予備校の大学入試説明会を聞く。玉野光南の入江先生にお会いする。
 終わってすぐに電車で東福山まで帰り、学校まで歩く。学校からはY先生の車で帰る。
 夜、“And Then There Were None”を読み、今32頁。“Hamlet”を少し読む。“Her”は103頁。
 
1992年6月9日火曜日。晴れ。
 8時のバスで行く。バスの中は“And Then There Were None”を読む。2限は5年。教生。炭酸水素ナトリウムと炭酸ナトリウムの性質。5、6限は6年中和滴定の二回目。他の時間は6年のプリント作りと教生の指導。
 6時40分の電車で帰る。夕食はミートボールと胡瓜の膾。
 “And Then There Were None”を少し読み、今46頁。
 
1992年6月10日水曜日。晴れ。
 朝、車で行く。朝は「ボバァリー夫人」を少し。
 2、3限は6年の授業。滴定曲線その他。4限は3年。教生。コイルと磁界。
 午後は6年のプリント。放課後もプリント。
 7時頃帰る。夕食はお好焼き。みんなでスライムを作る。
 10時半に寝る。
 
1992年6月11日木曜日。晴れ。
 車で行く。8時から補習。1限は5年。教生。アルカリ土類金属
 2限は反省会。3限は学年かい。4限は食事。それから昼食後、“And Then There Were None”を少し読む。やや読みやすくなった。
 4時から推薦委員会。7時半に帰る。夕食はソーメン。
 
1992年6月12日金曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。「ボバァリー夫人」を少し。 
 1限教生の5年。3、6限が6年。4限が教生の3年。
 夜、咳が激しく出るので、早く寝る。
 新潮古代美術館「ナイルの王とエジプト美術」を終える。
 
1992年6月13日土曜日。晴れ。
 朝から車で行く。「ボバァリー夫人」を少し。
 9時前に内科医院へ行く。N君のお母さんに会う。
 12時過ぎに学校をでて、因島へ。
 9時半に帰ってすぐ寝る。頭朦朧とする。
 
1992年6月14日日曜日。晴れ。
 朝、T君へ竹の子をもって行って、帰ったとき車庫の入り口で左のウインカーをぶっつけてしまう。頭未ださめず。
 その後昼寝。午後も昼寝。夜も早く寝る。
 
1992年6月15日月曜日。晴れ。
 少し頭はすっきりする。朝、バスで行く。「ボバァリー夫人」を少し。
2限は5年教生。1限は理系。滴定曲線、三限は鉛蓄電池。
 
1992年6月16日火曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。「ボバァリー夫人」と「古代ギリシア美術」
 2限は5年。教生。マグネシウムとカルシウム。5限は6年理系。酸化還元適定。6限は6年文系。鉛蓄電池の解説。
 やっと教生が帰ってくれた。
 放課後「文学概論」、風巻景次郎・児山信一「明治文学詩歌評釈」「三島由紀夫必携」などを読む。
 6時のバスで帰る予定でバス停に立っていたらY先生が乗せてくれた。すぐに夕食。夕食は竹の子と味噌汁。鯖の煮付けは臭いので食べないことにする。
 夜、“And Then There Were None”を2時間ほど読む。おもしろくてたまらないという感じ。このまま夜半まで読んでしまいそうなのでやめる。今144頁。
 
1992年6月17日水曜日。晴れ。
 朝、車をガソリンスタンドにもっていき、修理に出す。8時10分頃着き「ボバァリー夫人」と「平家物語」。今日は234限が授業。2は6年の理系。ボルタの電池。3は6年文系。電池のまとめ。4は3年で電流と磁界の関係。56はプリント作り。4時から委員会。6時前に帰って、内科へ。夜はずっと“And Then There Were None”を読んで、11時前に終わる。残念、犯人は結局あてられず。最後まで残っていたのだが、犯人ではなかった。エピローグの会話にちぐはくさを感じたが、その矛盾に気付かなかったのは私の読みの浅さだ。残念。
   
1992年6月18日木曜日。晴れ。一時雨。
 朝車で行く。8時より化学の補習。実力テストということで少なく七人。
 1限は5年。両性元素の性質。実験。プリントの修正。5年演習編の問題の印刷。午後、2時より1時間学年会議。進路カードに学研模試の結果を記入する。放課後は、片付けと進学資料の整理ならびに調査。
 Arthur C.Clarkeの“Childhood's End”、A Del Rey Book(Ballantine Books)1989を読み始める。昼休みと家に帰ってから少し読む。今24頁。
 6時半に帰る。夕食は天婦羅。
 
1992年6月19日金曜日。晴れ。
 朝バスで行く。「ボバァリー夫人」と「平家物語」。1限は5年両性元素。2限は理科会。3限は6年文系。電気分解。4限は3年。モーター。6限は6年理系。鉛蓄電池。放課後は面接と進学資料を読む。「文学概論」「三島由紀夫必携」など読む。6時半のバスで帰る。夜、家で“Childhood's End”。今、37頁。 10時頃寝る。夕食はソーメン。
 
1992年6月20日土曜日。雨のち晴れ。
 朝車で行く。「ボバァリー夫人」と「平家物語」。ずっと小川君の推薦調書を書く。放課後は、テストの準備。読書は「文学概論」と“Chikdhood's End”。
四時頃帰る。試験問題を作る。夜、テレビで「エイリアン2」を見る。2回目だが、たいへんおもしろい。
 
1992年6月21日日曜日。晴れ。
 朝、芥川の「クラリモンド」を読み、終える。ビデオにとってある映画「ロミオとジュリエット」を見る。同時に英語のテキストを合わせてみる。途中まで。弁当をもって春日池公園へ行く。帰って昼寝。6時近くまで寝る。夜、試験問題を作り、11時前に完成する。
 夕食は野菜炒め。“Childhood's End”はあまり進まず、今44頁。
その後読んで49頁。
 
1992年6月22日月曜日。晴れ。
 朝、車で行く。「ボバァリー夫人」を少し読む。おもしろい。1限は6年。電気分解の実験。2限は5年。アンモニアソーダ法と両性元素。3限は避難訓練。昼休みは「文学概論」と「平家物語」。午後6年の演習編の問題プリント。5年の演習編の解答作り。本日6年期末テスト印刷終了。放課後、教官会議、クラブ顧問会議、委員会。7時30分過ぎに帰る。車の修理ができたということで取りに行く。9万円ほどかかった。
“Childhood's End”は少し読んで、60頁。
 
1992年6月23日火曜日。夜中から雨。そして一日中雨。
 朝、家で「坊っちゃん」を少し。
 朝、妻の運転で送ってもらう。帰りも迎えに来てもらう。
 朝、8時過ぎに着き、「ボバァリー夫人」を少し。2限は5年。アルミの性質。5、6限は6年。電気分解の実験のまとめ。
 他は、5年の演習編の解答。6年の演習編の解答。昼休みは、「平家物語」「日本詩史」「文学概論」。
 7時前に家に着く。夕食は、ひじき、味噌汁、肉の炒め。
 夜、「好色二代男」を少し読む。“Childhood's End”は68頁。
 後楽園のタンチョウ鶴の名称応募入選の報せ来る。入場券添付。
 
1992年6月24日水曜日。晴れ。
 朝、車で行く。「ボバァリー夫人」と「平家物語」。6年の演習編の解答完成。23限は6年。演習。4限は3年。電動機の原理。午後は昼食後、「文学概論」と「日本詩史」。2時から郵便局、ベスト電気、コア。コアでSidney Sheldonの“A Stranger in the Mirror”を買ってきて少しずつ読みはじめる。その後は、フロッピーの整理と“Childhood's End”。6時頃帰る。
 夕食はお好焼き。
 
1992年6月25日木曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。補習。1限は5年アルミの化合物。アンモニアソーダー法。2限は“Childhood's End”を読む。3限は学年会。4限は通知表に名前を書く 。1時15分から委員会。5限は面談。6限はアルバム用写真を写しに浜田写場へO先生の車で行く。放課後は通知表の続きと成績カードの作成。
 6時過ぎにY先生の車で帰る。夕食はオムレツ。風呂から出て10時まで“Childhood's End”を読んで、今117頁。やっと半分を越えた。あまりおもしろくないが、最後まで読むことにする。ドラキュラ映画少し見る。
 “A Stranger in the Mirror”を少し読んで38頁。こちらのほうがおもしろい。
 
1992年6月26日金曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。“Childhood's End”を少し。「ボバァリー夫人」とフォー サイスの「ネゴシェイター」を少し。1限は5年。アルミの反応。2限は理科会。3限は6年文系。演習問題。4限は3年。電磁誘導。6限は六年。理系。問題。放課後は3年の補講。放課後は少し休んで6時のバスで帰る。夕食はカレイのムニュエルとサラダ。それに味噌汁。“Childhood's End”を読んで137頁。やっとおもしろくなった。この第二部の終わりはおもしろい。緒方拳のドラキュラ映画を見る。
 “A Stranger in the Mirror”を夜寝る前に読んで、47頁。Tobyはいよいよ徴兵される。その前のクラブでの下積み時代はよく描かれている。
 
1992年6月27日土曜日。晴れ。夜雨。
 因島へ行く。“Childhood's End”を読んだり、英語の 勉強をしたり。
 ブザーをつけたり、池の水を少し手入れする。低部に汚れた水はたまるように設計されており、ある程度は効果があるのだが、やはり水はまだ濁っている。
 江戸川乱歩や世界史の本を読む。おもしろいがあれもこれもというところで、中途半端を怖れて撤退。心残り。乱歩全集から23巻の「少年探偵団」。辻邦生の随筆集「時の終わりへの旅」(筑摩書房)。古典大系の「源氏物語一」をもってくる。
 夜、“Childhood's End”を少し読んで152頁まで。“Her”を少し読んで144頁。ビールを飲みながら「怪人二十面相」を読んでいたら眠くなったので寝た。
 
1992年6月28日日曜日。晴れ。
 朝から“Childhood's End”を読んでいる。「坊っちゃん」を少し。妻は風 邪で寝ている。昼前に少し昼寝。昼食後“Childhood's End”を少し読んで、部 屋の掃除。そして再び読んでから、庭木の手入れ。じっとしていると暑くなく、冷たい風が肌にあたると寒いような日であるのに、さすがに戸外で体を動かすと、汗が出る。たまにはいいが、あまりこういう仕事におわれると本が読めなくなく。夕食は南瓜と豆腐と卵焼き。食事後古典大系で「桐壺」を読んだ。これはこれだけでも見事な短篇小説になっているではないかと思う。それに、不思議なことだが、ここに書かれていることだけでも一級の文学作品ではないか。
 “Childhood's End”は170頁。
 
1992年6月29日月曜日。晴れ。
 期末試験第1日目。朝、8時のバスで行く。
 “Childhood's End”を読む。
 6年5年のプリント作り。
 午後は成績伝票用紙を作ったりする。
 5時より「一箪会」。8時半のバスで帰る。
 “Childhood's End”は186頁。
 
1992年6月30日火曜日。雨。
 バスで行く。朝は「ボバァリー夫人」を少し。監督はなく1学期の出欠の記録を出したり、プリントの整理をする。
 午後は5年生の試験の採点。5時過ぎに帰り、採点。
 夜は衛星放送で映画「太陽がいっぱい」を見て寝る。
 “Childhood's End”は199頁。