夕凪亭別館

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尾道市因島・ ふるさとの史跡をたずねて 瀬戸内タイムズ連載

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****著者の言葉****

ご愛読と感想と激励を感謝いたします。

 

下のページは初め頃書いていた補足です。でも続かなくなりました。

それに、関連写真や地図なども、上記リンクの各町の中に書くべきですが、やはり、時間がなく、誠に不親切なブログになっております。

 

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      最近の感想

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《120回》先ほど120回の原稿と写真を編集部へメールで送りました。100回までを第一部として村上水軍関連史跡を中心にその周辺を書いてきました。そして100回を超えたら、江戸時代、すなわち近世農村社会を描くつもりで、干拓をキーワードにして途中脱線しながら進めています。それで150回あたりを区切りに江戸時代でも、後半は宗教を中心に見ていくのがいいかと思います。200回を区切りとして明治時代に入ります。そのテーマを何にしましょうか。2019.2.6.

 

 

《3段》いつの間にか、3段組になってしまいました。重井の長右衛門に書いていたつい力が入ってしまい、写真が小さくなってもよいかと、やや長めに書いたら、写真を大きくして三段にしてくれました。しばらくして、三段を続けるかと編集の方から問い合わせがあり、それでよしと答えておきました。これくらいの量なら、ややつまらないことも書けて、より読者の方に楽しんでいただけるのではないかと思っています。2019.1.16.

 

《近世》110回を突破しました。近世では農村社会を建設する中心の庄屋が村上氏の子孫や、武将たちの子孫であったことと、その仕事の中心を干拓に見ようというのが近世前半のねらいです。後半は宗教にしようかとおぼろげながら考えています。ただ、近世を200回までにするか150回あたりで明治に入るかは、今のところ未定です。2018.11.30.

 

《100回》97 回の原稿を送りました。そろそろ100回になります。これまで周辺の道草は時代とは関係なく書いてきましたが、根底には中世、すなわち因島村上氏の時代を置いていました。それで100回を機に近世に入ってみようと思っております。2018..8.15.

 

《分家》因島村上氏の分家として田島分家、大浜分家、百島分家、岩城・田熊分家と書いてきました。残りは鞆分家だけです。鞆がおわったら道草をしながら、弓削、生名の関連城跡を訪ねましょう。大島などに行ってもよいのですが、やはり、因島へ話を戻した方がよさそうですね。  2018.3.3.

 

《文筆業》1週間、休みだったのですっかりペースが乱れてしまった。おまけに前回の時2回分書いてあったので、こちらはずっとご無沙汰だった。水曜日が締切日だったので送付して、貯金を使い果たした。と、言って書くことをやめていたのではない。別の原稿に追われていた。それも水曜日に片がついたので、次は別の校正が明後日の土曜日の午後まで。こちらは文章というよりも構成の方の変更がやっかい。その後、明日の古文書解読文を打って、解説を書いて・・。その間に次の水曜日が来る。ということでまるで文筆業である。嫌いではない。憧れの、と言っていい。しかし、いつも、こういう生活をやめて、暖かい日差しの入る部屋で、寝転んで本を読みながら昼寝をするという生活に切り替えたいとも思う。しかし、そうしたらそうしたで、その生活にすぐに飽き、何か書きたくなるに違いない。そういうことがわかっているので、やはり今の生活を至福の時だと思わないといけない。物書より画家の方が長生きだと、常々思っている。しかし、画家にはなれない。長生きは出来なくとも好きなことをやるのが一番である。  2018.2.15.

 

《本》本として出して欲しいという、嬉しいお言葉は度々お聞きするのであるが、書いたものよりも、これから書くことの方がおもしろいので、地図や写真を追加する気にならないのです。それは、ここのページの下の方が途中で続かなくなったのと同じ傾向です。もう若くはない。あと、どこまで書けるかわからないので、書けるうちにできるだけ書いておこうと思うのです。2018.2.7.

 

 

《ついで》最近やたらと「ついで」という言葉を使っているが、「・・に次いで・・・」と言うのは聞くのであるが、「ローソンへ行ったついでにおにぎりを買ってきた」というのはおにぎり以外の目的物があって、それを買ったついでに、と書いているのだが、このような用法は標準語にあるのだろうか? この辺の方言かもしれない。まあ、ローカルな話だから、それでいいのだけれど。2018.2.6.

 

《帰郷》

 2月になりました。首都の方では雪だというのに、こちらは春めいております。そういえば1月の27日でしょうか。夕方、みつばちヒバリ道路を歩いていると、早くもヒバリが鳴いていました。

 岩城4回の後、伯方島へ1度だけ寄り道をして因島へ帰ります。2回。その後再び旅へ出ます。福山です。3回。そのついでで三庄1回。それから、因島の山へ・・というようなことを考えています。そのようになるかどうか。2018.2.1.

 

七色仮面

 肩書きは使いたくなかったのであるが、ひょんなところで、一つ使ってしまった。元旦のレポートは特派員として、福山の文学館は例の会の代表としてお願いしたのだから、というのが編集氏の弁。こちらは一つの体、一つの頭。

 肩書きをいちいち書いていると、七色仮面になって、本当の顔はどれでしょう、ということになってしまう。

 それと、まさに「お里が知れる」ということになって、いったん知られてしまうと、居直って、のめりこんでしまうのが、こわい。文章を書くものにとって、「お里」ほどこわいものはない。2018.1.26.於福山

 

 

《空想旅行》

 実際には別の日に別の順序で行っているのに、紙上では毎週(すなわち一週間に一度)、頭の中のストーリーに従って移動する。だから「空想旅行」。寒くて行けない時、忙しくて行けない時などでも、必ず一週間に一度はどこかに行く。だから、遠くへ行くと余計に楽しい。岩城の後は竹島と田熊の予定だったが、その前に伯方島へ行こう。そしてトウビョウ鼻で聞いた潮騒の音を、書きながら思い出そう。2018.1.14.

 

《予定など 3》

 江戸時代に入る前に書いておかないところがまだあった。伯方島と生名島だ。

 ちぐはぐだが、鏡浦、椋浦の次に一回ずつ書いておこう。2018.1.9.

 

《予定など 2》

 すでに書いたことに補足説明を加えるより、先の予定を考えることの方がはるかに楽しい。補足になると、言い訳をしているような感じで気持ちはよくない。限られた字数で、持てる力を最大限に発揮する。それだけだ。だから、一発勝負だ。直そうとして直るものではない。

 村上分家を鞆分家で終わったらどうするか。村上氏の因島退去から江戸時代へ入る。それが一番流れとしてよい。しかし、因島には村上氏と関係ない城跡がある。椋浦と鏡浦だ。江戸時代から、こちらへ戻るのもおかしいから、江戸以前に何回か取りたい。

鏡浦で5回、椋浦で3回。・・・アンバランスだ。いや、平均したら4、4で許せる。

2018.1.6.

 

《予定など》

 正月前に2回分だしたので、楽になると思っていたら、すでに締切が迫ってきた。金曜日に編集印刷で土曜日発行だから、木曜日提出は守ったきたのであったが、11月頃から木曜日編集に変わったので水曜日を原稿締切として欲しいと連絡があったので了解した。

 毎週土曜日に紙版を見てから次の回の執筆をすることにしているので、推敲時間が減ったということである。まあ、仕方がない。

 ずっと先のことも考えておかないといけない。

 今の村上分家を、岩城で4回。竹島で2回。鞆で1回、遊びが何回か欲しいが・・。(2018.1.2.siosaisouにて)

 

 

《これまでの経過など》

 因島村上氏の本城として土生長崎、向島余崎、重井青木 としてそれぞれ4回書きました。

 次に五家老について、その関連したところをそれぞれ4回書きました。

 その後、船奉行片山氏について三庄と重井をそれぞれ2回書きました。

 読者の方も慣れてくださったので、多少話が飛んでも混乱は少ないだろうと考えて、これまでの4回ずつというのをやめて細島から気ままに書くことにしました。

 細島は因島の属島のうちの唯一の有人島です。フェリーで簡単に行けますが、行って何するん? 帰りのフェリーまで暇で困るじゃん! という人が多いようですので、少し多めに書きました。まだまだあるのですが、それはまた後ほど。

 その後、細島の次から分家筋を書くことにしました。ただし4回に限定せずに気ままに書きたいと思っております。だから大浜は6回になります。田島分家と大浜分家を平均すると4回になりますからバランスはとれるようです。  バランス?・・・(2017.12.8.福山にて) 

 

以下のページは初め頃書いていた補足です。 

 

 

 

地図を入れた補足を書く予定でしたが、時間的余裕がなくなりました。悪しからず。

1〜5のリンクと関連写真 6〜10のリンクと関連写真 11〜15のリンクと関連写真 16〜20のリンクと関連写真

 せとうちタイムズの連載「ふるさとの史跡をたずねて」web版へのリンクと関連写真などです。web版は紙版より少し遅れます。 

 

 

1 釣島箱崎浦の合戦跡(因島土生町箱崎) 2016.8.6.

 2   島前城跡(因島土生町箱崎) 2016.8.13.

 3 茶臼山城跡(因島中庄町茶臼) 2016.8.20.

4 徳居屋敷(因島中庄町徳井) 2016.8.27.

5 掛迫農道(因島中庄町通り谷) 2016.9.3.

6 妙泰神社(因島土生町明体) 2016.9.10.

7 三庄の妙泰神社(因島三庄町三区) 2016.9.17.

8 青影落葉の神(因島土生町郷区) 2016.9.24.

9 三子松(因島土生町三子松) 2016.10.1.

10 狸藪(因島三庄町一区) 2016.10.8.

11 馬の墓(因島田熊町中区) 2016.10.15.

12 岡野明神(因島田熊町中区) 2016.10.22.

13 藤原神社(因島田熊町中区) 2016.11.5.

14 妙泰夫人の墓(因島田熊町浄土寺) 2016.11.12.

15 耳明神社(因島土生町大山神社) 2016.11.19.  

16 藤原泰高の墓碑(因島土生町対潮院) 2016.11.26.

17 鍛冶神社跡(因島土生町串畑) 2016.12.3. 

18 長崎城跡(因島土生町荒神平) 2016.12.10.

19 荒神山城跡(因島土生町荒神平) 2016.12.17. 

20 弓場馬場跡(因島土生町平木) 2016.12.24.

21 長源寺跡(因島土生町箱崎) 2017.1.1.

22 余崎城跡(尾道市向島町立花) 2017.1.7.

23   白石島(尾道市向島町) 2017.1.14. 

1〜5のリンクと関連写真はこの下です。

  6〜10のリンクと関連写真

  11〜15のリンクと関連写真 

      16〜20のリンクと関連写真

1 釣島箱崎浦の合戦跡因島土生町箱崎) 2016.8.6.

**地図**

 

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あれや、これやと、好きなところへ飛んで、全体としては、幾つもの流れが立体的に描かれていた、という具合にしたかったが、それでは読者の方が混乱されるので、単線型でいくことにした。

 

因島村上氏のことを語るには、天授3年(1377)の釣島箱崎浦の戦いから始めるのがよいだろう。因島村上氏が来島したのが、この戦いの結果だというのは伝説かもしれない。しかし、話としてはわかりやすい。考証は歴史家に任せて、ここから始めることにしたい。

 

当面、村上水軍の話をする。村上海賊と、最近では呼ばれているが、今更村上海賊でもなかろう。水軍でも海賊でも言葉の制約があり、十分ではないのだから、これまでどおり村上水軍でいく。しかし、水軍という独立した地位があったわけではないので、この言葉もできるだけ使わないつもりである。因島村上氏という言い方がよいと思っている。そして、時に水軍や海賊の顔があったのだろう。

今岡通任(みちとう)に勝った村上師清(もろきよ)が3人の子供たちを、能島、来島、因島に配した。それが、三島村上氏の時代の始まりだという。後期村上水軍の時代だともいう。

前期村上水軍の時代は村上義弘の死とともに終わる。

村上義弘因島青陰城主だったというのは伝説である。後期の始まりが伝説であるから、前期のおしまいが伝説であっても構わないが、村上義弘因島にいたとすると、話がややこしくなるので、とりあえず引っ込んでいてもらうことにする。

それで第一回目は箱崎の江の内公園にある古戦場跡の史跡碑(木製)を訪ねる。箱崎漁港の向かいに当時釣島、今は鶴島と呼ばれている小島が見える。海と島のコントラストが美しい。悲惨な戦いのことに思いをいたすよりも、同じところがこんなに美しく今も存在するということが不思議だ。 

写真とリンク

釣島箱崎浦合戦跡

因島城跡物語 釣島箱崎浦合戦

 

敗者の多くは、この時点で歴史の舞台から去っていく。だから、まず敗者の側から書いていこう。

 2   島前城跡因島土生町箱崎) 2016.8.13. 

0845.boo.jp

*****地図*****

 

 

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2回目は島前城跡です。すなわち、現在因島図書館のあるところです。

因島図書館へ行って、村上水軍の本を借りる人は多い。しかし、その場所が、村上水軍関連の城跡だということに、思いをはせる人は意外に少ない。

ここは因島村上氏の時代はもちろん、それ以前にも重要な城跡である。それで、まずは釣島箱崎浦の戦いの時の話をしよう。

釣島箱崎浦の戦いで勝った村上師清が子息吉豊を長崎城主にするのが因島村上氏の始まりです。(という伝承に基づいて話を進めます。) 

村上師清と戦った相手は今岡通任(みちとう)です。 

 今岡通任が城主だったのが島前城ということで、今回は島前城跡を取り上げました。

1回目の古戦場跡の史跡標(木製)のある公園(江の内公園)から少し北です。

リンク

島前城跡

島前城跡物語 

 

3 茶臼山城跡(因島中庄町茶臼) 2016.8.20.

 

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*****地図*****

 

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ここで舞台を中庄へ移します。古くから開けた中庄には多数の史跡があります。その中ではやや、マイナーな感じのする茶臼山城跡です。

釣島箱崎浦の戦いで、今岡通任と共に村上師清と戦って、負けた大鳥氏のいたのが茶臼山城跡です。だから、中庄というわけです。釣島箱崎浦の戦いの話が終わったわけではありません。ここで、茶臼山を出しておかないと後の話がわからなくなります。そして、中庄の茶臼山へ来ると、1回では終わりません。そういうわけで、ナティーク城山の因島村上氏の時代は、まだまだ始まりません。今しばらくお待ちください。せっかちな人は因島病院へ行って、「因島城跡物語」のパネル24枚を見てきて下さい。

 

リンク

 ウェヴ版では、いっぱい写真を使ってもらって、持ち駒を放出しきった感じです。だから、以下のリンクは変わりばえしませんので、あしからず。  

 茶臼山城跡 茶臼神社 茶臼山城跡探訪 

 

4 徳居屋敷(因島中庄町徳井) 2016.8.27.

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***地図

 

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 ここで徳居屋敷を出してよいのか、私自身もためらいがある。釣島箱崎浦の戦いの話が終わったわけではない。今岡通任とともに戦った大鳥氏らの茶臼山城跡を紹介した。その茶臼山の東麓に徳居屋敷はある。「江戸時代の武家屋敷の面影を留める」ということだから、時代を江戸時代の初期と考えてもそれよりも200年以上前の大鳥氏とは関係は見つけにくい。

今岡氏は河野水軍である。大鳥氏が河野水軍であって、その関係者が茶臼山周辺に住んでいた・・・としよう。その中に徳居(井)という人がいた。その人の子孫が代々徳居屋敷に住んでいればよいのだが、可能性としては少ないだろう。血は繋がらないけれど、田頭さんと同じような気持ちで徳居と名乗ったのかもしれない・・・。そう考えて、茶臼山城跡の一景に徳居屋敷を加えた。

なお、田頭家は弓削の鯨(現在久司浦)の宇多城を作った人たちの子孫である。

リンク

徳居屋敷 宇多城跡

 

5 掛迫農道(因島中庄町通り谷) 2016.9.3.

 

0845.boo.jp

***地図***

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まず、誤植のお詫びから。

紙版、下段本文12行目

土生開ができる前はありえない。

は、

土生開ができる前はありえない。

です。すなわち「新」の字が落ちています。

土生新開というのは鹿穴(ししあな)から東へ伸びる干拓地です。

ですから、昔は片刈山の周辺は海だったのです。

今、ゲートボール場になっているところにあった片刈池は干拓地に作った溜め池だったのです。昔、私の祖母は「ひょうたん池」と呼んでいましたが・・・。

 

西浦峠(青影隧道の上)から、田熊へ続く道があるのを知らない人には、この話は難しいかもしれません。対向車と出会うと大変だけど、けっこう楽しい道です。

だから、西浦峠まで行けば、良いわけです。

あるいは、山口から大山峠を越えるルートもあったでしょう。でも、現在中庄公民館があるところよりももっと奥まで海だったわけですから、やはり西浦峠へ近づかないといけません。

 

ちょっと中庄で道草をしすぎましたね。まだ、釣島箱崎浦の戦いの話は終わってないのですから、次回は土生に舞台を戻します。

 

リンク

中庄越(運動公園から西浦峠) 中庄越(西浦峠)

 

ここで中断のお詫びです。

忙しくてこちらの続きが書けなくなってしまいました。

まだ因島村上氏の話が続いております。もうしばらく続けましょう。2017.12.8.

 

 

 

 

 

1〜5のリンクと関連写真 6〜10のリンクと関連写真 11〜15のリンクと関連写真

  

 

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