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夕凪亭別館

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因島中庄町 松浦家家譜

茶臼神社 21番大龍寺(釜田松浦家先祖碑

松浦家家譜

 

(諸本からの抜粋、未校正)(別人の経歴が混在しているのでは? あるいは年代が間違っているのか?)

 

陣貝(石名)松浦家

初代

 城戸(きど)太郎兵衛尉  従五位下 藤原盛義

 建武元年(1334年)5月1日没。  天真院寶山義永大居士。


 元弘三年(1333年)5月、 土佐国但馬守の侍従藤原忠義の家臣であった盛義は、 
忠義に従って尾道浄土寺へ赴き、さらに浄土寺の領地になった 因島へ渡った。 
盛義は、忠義の下で伊予近海において戦い、 その功績により、 従五位下に叙せられた。

 

2代

 城戸賜大鳥二郎兵衛尉 藤原光景 。
 文和3年(1354年)3月2日没。瑞龍院徳岩永澤大居士。

 

3代

 大鳥式部民之尉 権大学  修理権太夫 藤原盛長 。
 文和2年(1353年)十一月十六日没。 長生院大真義孝大居士。

 

4代
 大鳥豊後守修理大夫 藤原光貞 。画所預職。従四位下

 

5代?

 大鳥伊予守   従五位 藤原義直 茶臼山城主 

 永亨6年(1434年)8月1日没。 藤原院臼山自然大居士 。

 一説に西浦松屋過去帳には「永亨六甲寅年八月朔日 小田薬師に葬る云々」(西浦松屋過去帳

6代

 大鳥左京尉 藤原直盛

 文明元年(1469年)9月30日没。瑞仙院南山徳崇居士。

 

7代

 大鳥勝祐尉義康 藤原義康 (茶臼山城主 大鳥義康 )

 明応九年(1500年)6月9日没 。文照院本光善性居士。別人か?

 釣島箱崎浦の戦いに敗れる。茶臼山城落城。

 茶臼山城主 大鳥義康の弟大鳥宗義の妻 妙泰夫人土生越えで敗死。妙泰神社。

 妙泰夫人の墓(供養塔)は田熊浄土寺。鐘楼の近く。廻国供養塔、つんぐり地蔵などの近く。元禄9年  妙泰菩提也  三月二日。

 大鳥九郎左衛門宗義は田熊の龍ガ迫で敗死。

 義康の二男盛久と女児一人が土生の三子松で敗死。

 今岡通任の墓:郷、広畑、通称楠木。「青影落葉神」。

 3男 大鳥佐武郎 藤原盛久 

  田熊金山の海浜で敗死。

8代

 大鳥太郎兵衛尉 藤原康盛 大鳥康盛 

 亨禄元年(1528年)3月14日没。 寿光院清山浄機居士。

 

9代

 大鳥右衛門祐 藤原光康 

 永禄九年(1566年)12月10日没。光厳院徹性日通居士。 
  父は、松浦氏、忠頼。 
  母は、5代、大鳥伊予守藤原義直の曽孫娘。 
  光康は7代目大鳥勝祐藤原義康の嗣子となる。

 

10代 松浦太郎左衛門尉 盛光

  天正19年(1591年)5月23日没。自得院天髄道仙居士。

  松浦と名乗ってからの一代目 
  陣貝(石名)松浦家より、徳永松浦家、釜田松浦家が分家。

  長男、松浦盛光(陣貝)、 次男、松浦藤二郎(徳永)、 三男、松浦平之進(釜田)ということになる。

 

11代

  松浦民部少輔 藤原盛義 

      慶長19年(1614年)3月12日没。天祐院功山道忠居士。
 永禄年間(1,558年ー1569年)に茶臼山北部山林を東氏正時に譲った。 
 茶臼山の東、南、西の三方の耕地及び 山林はそのまま所有した。 

12代

 松浦治良兵衛尉 藤原直義 
    寛政十八年(1641年)7月7日没 。鶴松院智嶽安徳居士。

13代

 松浦治良太夫 義光 

 寛文8年(1,668年)5月27日没。 松寿院太窓芳林居士。
 元和3年(1617年)庄屋。 
 寛永2年(1625年)8月1日茶臼山城跡に社殿 再建。

 寛永3年(1626年)因島が9ヶ村に分割された。 松浦義光は、庄屋を辞退し、帰農。この頃、義光、郷内の小林又左衛門、 大上十良太夫、長福寺(因島中庄)を 建立。

 明暦元年(1655年)権防山に社殿を建立し、同年6月28日 出雲国須佐之男神社から、須佐之男命の御分霊を迎え、これを 祭神として勧請して、「赤雲神社」と名ずけた。「陣具の荒神さん」。

 

 松浦三郎兵衛 盛敏 
  十二代直義の子。十三代義光の弟 
  正保元年(1644年)藩主浅野候の命により、 御調郡の郡務を勤め、御調郡徳永村(現在の御調郡御調町河内地区大字徳永) へ移る。「清十良の祖」といわれている。

 松浦伝左衛門 盛質 
  十二代直義の子。十三代義光の弟。 
  承応2年(1653年)耕地及び山林若干町歩を譲り受けて、 「梶畑」へ分家。「伝三郎の祖」といわれている。

 

14代

 松浦治右衛門 光照 

 松浦興市兵衛 貞光 (西浦松屋の元祖)

 延宝3年(1,675年)12月19日没。 本雪了源禅定門 。
 13代義光の二男。14代光照の弟。 
    慶長年間(1,596-1,614年)頃に、耕地、宅地及び 山林を数十有町歩譲り受けて、 茶臼山の麓「陣具」へ分家した。 貞光は、興市兵衛貞運に後を譲って相続させ、 次郎左衛門貞嗣と長兵衛をそれぞれ分家させた。 

15代

 松浦治兵衛 義照 
 元禄16年(1703年)6月9日没。 光厳良圓居士。

 14代光照の長男 
 嗣子に恵まれなかったので、分家光平の元祖、 徳左衛門義則の二男、想右衛門忠敬を嗣子(養子)として、 忠敬に後を継がせた。 また、義照は、村上則敬の子(先代光照の孫、当代義照の妹の子) 吉良兵衛と宮地七左衛門の子の二人を 養子として、それぞれ分家させた。 

 松浦徳左衛門 義則  「光平松浦」の祖。
 14代光照の二男。15代義照の弟。 
    寛文年間(1,661年―1672年)頃、耕地十有余町歩、 山林数ヶ所を譲り受けて、「光平」へ分家した。 義則の 長男長左衛門が2代目を継いだが、嗣子が なかったので、弟(義則の4男)角十郎が、 その後を譲り受け、三代目を相続した。

   光平松浦の元祖から5代目の萬四郎甚松の世代に、 甚松の二男甚九郎が

  「室屋」へ分家し、「森屋松浦」の元祖となる。

   義則の二男想右衛門忠敬は、本家石名の 16代を継ぎ、三男金右衛門が分家して、 
「金石松浦」の祖となる。 

 

16代  

 想右衛門 忠敬 

 

17代

 

 

 

徳永松浦家

初代

  松浦藤二郎 光敬  

  文禄4年(1,595年)4月5日。松翠院盛敬自○居士。
  亨禄年間(1,528年ー1531年) 分家し、住居を日和谷(徳永)へ移す。 
  盛義?(盛光?)の二男盛久を嗣子とする

2代

  正九郎 盛久  山守治部正九郎尉

  寛永9年(1633年)8月2日没。徳寿院日和自照居士。

  石名松浦十一代民部少輔 盛義の二男 
  松浦藤二郎光敬の嗣子となり、亨禄年間(1,528-1531年)頃に 、養父光敬と共に、住居を日和谷(徳永)へ移す。 
  浅野藩の山守役を勤める。 
  日和谷に耕地及び山林三十有余町歩を所有する。

 

以下の代数は1つ間違っている。3代とすべきだろう。
2代平四郎 盛兼 
3代清兵衛門 盛道 
4代善十郎 興道 
5代徳八郎 時道 
6代清吉郎 吉時 
7代徳八 吉輝 
8代清吉 正直 

 

 鶴本屋(たるまん)弥八

釜田松浦家

初代

 松浦平之進 盛行  弥三兵衛 
 天文年間(1,532年ー1554年) 分家し、住所を宮脇(釜田)に移す。

 
2代弥三兵衛(市三郎) 
3代弥三兵衛(善造)

 (徳永丸三家初代)釜田善兵衛 
 (山口勝一家初代)釜田甚六 
 (陣貝ソーメン屋家初代)天神源七 
4代甚七 
5代弥平 
6代甚七 
7代保平 

8代佐平 

9代要次郎 
10代要次郎(富三郎) 
11代源松 
12代要次郎(惣次郎) 
13代査炳 
14代繁夫 
15代基之(神奈川県在住)

 

 

 田中屋(万田醗酵)

田中屋初代  清助 
田中屋2代 清助 
田中屋3代 藤十郎 
田中屋4代 新五郎 
田中屋5代 林五郎 
田中屋6代 岩右衛門 
田中屋7代 友之助 
田中屋8代 林五郎 
田中屋9代 龍太郎 
田中屋10代 繁治 
田中屋11代 新吾郎 
田中屋12代 良紀(よしのり)