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夕凪亭別館

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因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第11回 2017.3.21. (共催:因島白滝公園保勝会)

 

いんのしまみち しげいみち おおはまみち なかのしょうみち とのうらみち かがみうらみち むくのうらみち みつのしょうみち はぶみち たくまみち 日本のみち

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関連リンク

常楽院大徳の碑 馬神山荒神社 吉胡神社(馬神海岸) 馬神道 馬神城跡 馬神城跡物語 北の浜道 その1 長門明神 久保 厳島神社(明神社) 片山伊樋道 藤井神社 天秀庵城跡 天秀庵城跡物語 山神社 成願寺   月海湛玉上座 林蔵墓

善興寺 善興寺 善興寺 慈母観音 芋地蔵堂 末広講 六地蔵周辺

 

 

 

壮にして学べば、 則ち老いて衰えず。老にして学べば、則ち死して朽ちず。(言志四録)

 

1。白滝山の現状について  因島白滝公園保勝会 会長 柏原広雄

 3月8日村上海賊魅力発信推進協議会の取材があった。また、2月24日白滝山フォットコンテストの受付を終了した。

 

2。白滝山について  その11 [p.35-41]

  白滝山について書かれた基本文献として今回は、青木茂因島市史』(昭和43年)を読む。[p.35-37]

  前回から掲載している 『一観居士因縁記』の概要が記されている。  

 また併せて、宇根家文書『一観居士因縁記』(越後本)を見る。[p.38-41] 

 

3。村上水軍について その11  

 今回は第三家老末永(長)氏のことを記す。 第一家老救井氏は新田義貞の子孫、第二家老稲井氏は 新田義貞の弟脇屋義助の子孫であった。さて第三家老の末永氏については、『能島来島因島由来記』(因島市史料第六集)p.66に「稲井勘解由左衛門尉治家嫡子伯耆守治憲二男ヲ常陸介助義ト云是者有故母方ノ家ヲ立而末長矢治馬助景光ト改ム」とあり、稲井家の分家で母方の姓を名乗ったということである。すなわち、稲井家23代(因島6代)治憲の二男ということである。22代については別書では家治とある。

 さて、その末長氏についてであるが、宮本常一『瀬戸内海の研究Ⅰ』、p.452に紹介されているものの概要を記す。竹原小早川氏の一族で、小早川の分家で重臣の磯兼氏を末長氏の一族左近太夫が継いだ。一族の中には常陸介景盛などの名前も見えるから、この末長氏のことだろう。

 末永氏の死について本会資料第1回Vol.1(2016)、p.2で記した。

 

4。馬神城跡、天秀庵城跡青史跡巡り    [p.42]     

  今回は第三家老末永(長)氏が守った馬神城跡と船奉行片山氏が住んだ天秀庵城跡を中心にその周辺を探訪する。

①常楽院静金供養碑 小林 島四国高照院隣。供養碑は大正九年の三百大遠忌に建てられたもの。高齢であった。

「(前)常楽院 ◯◯ 静金淨清大徳三百大遠忌 (左)大正九年三月廿九日 (右)十代目峯松幾三郎◯建之」  常楽院静金大徳が戒名で、本名は峯松

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第11回            33                      Vol.2(2017)

作兵衛と言い、細島で山伏をしていた人である。重井峰松(峯は峰の異体字)氏の祖は、足利尊氏が九州へ下ったときの従者で、帰国の際尾道で病気のために戦列から離れ、宿の娘を娶った。その後重井に来て峯松五郎左衛門義光と名乗ったと伝わる。五郎左衛門家は白滝山表参道と伝六ロードが交差するところにあり、大瀬戸と呼ばれる。また白滝山南西の尾根にある峯松神社には、峯松元祖豊安大権現 天保十二年二月建之と書かれている大岩などがある。常楽院静金は四代五郎左衛門の五男で、大瀬戸家最初の分家である。常楽院峯松氏は初代から九代までが修験者で、権大僧都の高位者も輩出している。左端の大きな墓碑には七代夫婦と八代の名が記されている。

「大教院隆光優婆塞(八代) 大越家前常楽院金龍法印(七代) 梵室妙唄優波夷(七代妻)」②馬神山荒神 馬神新開遊水池西端ポンプ小屋北にある。③犬岩 ④亀岩 ともに海中にあり。犬岩はかつてはもっと犬らしかったとのことである。

胡神社 海岸 南端・岩の上 潮の引いた時海岸からいくしか道はない。

馬神城跡 西側が二の丸。東側の頂上が本丸。⑦道隆寺隣の鳥居

岩風呂跡、⑧月読社、⑨青峯さん、⑩長門明神、⑪広島屋家訓の碑

厳島神社(明神さん)盃状穴(重井3個の内、他はフラワセンター隣岡本家白塀の下、金蓮寺資料館前の元一本松のもの)。村井戸 ?黄幡社 玉の浦大明神 花壇の上か? 

妙法蓮華経の碑(重井3基の内、他は長崎播磨バス停、細島茶臼山登山口)

藤井神社 ⑮天秀庵城跡 船奉行片山数馬が住んだ。周辺の字が片山。

山の神池跡 天秀庵城の堀の跡が溜池になり、その後防火用水池として大出酒店隣、丸高商店隣、理髪店(現ふじみや横)隣の防火用水池と連結していた。 ⑯山の神社 吉充が青木城の裏鬼門として設置。

毘沙門堂 吉充が青木城築城の際、宮地大炊助が三原瀬戸の守護仏として毘沙門天を祀って作ったお堂が善興寺の前身と言われる。毘沙門天像は中庄成願寺にある。⑰善興寺[墓地]長右衛門家の墓 月海湛玉上座「元文三戊午 月海湛玉上座 十月十四日」。元文三年は1738年。文字をなぞると字が上手になるとか、頭が良くなるとか言われ、墓参の時はお参りする 林蔵立像(墓) 伝六さん供養塔、初代因島戸長柏原啓三郎墓 歴代住職の塚 [善通寺周辺]六地蔵 重井の義人長右衛門・弓瀬宗十郎末広講の碑 廻国供養塔[境内]慈母観音 芋地蔵堂 法華塔 道元禅師六百年供養碑 廻国供養塔・子安地蔵 鐘楼 血分経塚 閻魔堂 [参道]仁王像 瓢箪と駒 門前の石柱法華経の文字が彫られている) 先祖代々の菩提碑   

 [p.43]へ続く

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第11回            34                      Vol.2(2017)

5。干拓について 6         

 峯松勅夫編『重井町史年表』(平成十一年改定版1999)、重井町文化財協会により重井の干拓についてまとめる。

 寛永3年(1623)長右衛門新開(青木)造成。

 明暦3年(1657)川口新開(太田、一町田)造成。

 寛文11年(1671)郷新開造成。

 元禄10年(1697)青木沖新開(青木新開)検地。

 宝永2年(1705)井浜(伊浜)新開造成。

 宝暦10年(1760)宮沖新開検地。

 安政4年(1857)重井東港竣工(発起人 柏原水軒)。

 

6。道元禅師へのアプローチ その11 帰依仏法僧宝 

 修証義の第一章 総序(第二節)。人身得ること難し、佛法値うこと希なり。

 これは『正法眼蔵』の「帰依仏法僧宝」にでてきます。仏法僧を三宝と言いますから「帰依三宝」と呼んでも良いでしょう。岩波文庫の『正法眼蔵(四)』p.264に以下のようにあります。

 かくのごとくなるがゆゑに、いたづらに邪道に帰せざらんこと、あきらかに甄究(けんきゅう)すべし。たとひこれらの戒にことなる法なりとも、その道理、もし孤樹・制多等の道理に符合せらば、帰依することなかれ。人身(にんじん)うることかたし、佛法あふことまれなり。いたづらに鬼神の眷属(けんぞく)として一生をわたり、むなしく邪見の流類(るるい)として多生(たしょう)をすごさん、かなしむべし。

 

7。弘法大師空海へのアプローチ その11 広島の黄金山と仁保  

 古代の水銀産地の名残が地名に残っている県内の土地について是非記しておかないといけないのは仁保と黄金山である。あるいは、仁保の黄金山というべきかも知れないが、どちらにせよ両者とも興味深い。なぜなら、黄金山はかつては島で仁保島と呼ばれた。それが、なぜ黄金山か。金を取り出すには水銀が必要であるから、水銀産地を示唆する仁保の黄金山ということになる。松田壽男『丹生の研究』のp.182には以下のように記されている。

 212mの黄金山の6合目から8合目の土壌には0.0014%の水銀が含まれていた。

「仁保という島名、ないし町名が、この種の土壌から起こったことは、まったく明瞭ではないか。しかも黄金山の北裾にまわると本浦の部落には、その北はずれに山を西に負って、木立に包まれた邇保姫神社が鎮まる。仁保と邇保とが共通であったことが判明するが、同時にこの女神がニフヅヒメ(にうつひめ)であることも明白である。」

 

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第11回         43                            Vol.2(2017)

 

8。小学校史 その6 教育令の時代 

 明治12年(1879)から明治19年(1886)年の小学校令までが教育令の時代である。それまでの「学制」がフランスの教育に範をとったのに対して「教育令の時代」ではアメリカの教育制度を参考にしたものであった。この改革の中心は文部大輔田中不二麿を中心にして行われた。

 この改革の特徴は、学区制を廃止して、各町村が公立小学校を設置し、中央の干渉を少なくしたものであった。しかし、「自由教育令」と称されるほど、国家統制のゆるいものだったので、就学率の低下、学校建築の中止などが起こり、明治13年12月には「改正教育令」が公布された。

 

9。瀬戸内寂聴さんと因島

 瀬戸内寂聴さんが、かつて因島に来られた。昭和46年3月1日発行の『現代日本の文学23 林芙美子 平林たい子集』(学習研究社)の「尾道因島 林芙美子文学紀行」の取材のためである。「取材中の瀬戸内晴美氏(因島・土生港にて)」という説明のついた写真(p.17)などと短文が掲載されている。写真の服装から季節は冬のようだが、3月発行の本にその年の冬ではいかにも慌ただしい。前年の冬かもしれない。また、湧田佑氏の旅行ガイドには「北西部の重井あたりは季節に行けば除虫菊などが咲き乱れて楽しい島である。」とある。(月報36 p.10)また、「カメラマンの取材日記」(月報36 p.12)によると学研写真部の生井公男氏が同行した。

 

10。能島花見(紹介)

 能島水軍の本拠地能島は無人島で定期船はありません。しかし、4月の花見に臨時便が出て渡れます。国史跡の能島城跡を見学する絶好の機会です。今年は4月1日、2日です。 

  

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◉本会資料の一部をブログ「いんのしまみち」で公開しています。

◉次回、4月18日(火)10:00~11:15、重井公民館。11:45因島モール郵便局付近集合。宝地谷、どんじ石(昼食)、小丸城跡、日野山砦、百凡池。(昼食持参)(申し込み不要。一方だけの参加も可能です。資料代100円。)第二家老稲井氏が守った小丸城跡とその周辺を巡ります。

◉実習部会を開催します。(①イギス豆腐を作る ②八朔大福を作る ③しょうゆ飯を作る)など、順次募集します。 連絡先を記して個別に登録して下さい。材料費が若干必要です。

◉編著者(連絡先):柏原林造 

 

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