夕凪亭別館

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1999年7月

Lost Days

1999年7月1日。 木曜日。晴れ。

 7時前に起きる。『白鯨』序章、第1章終わる。小説らしくないところがいい。あまりにも現代の小説が技巧的になりすぎているということか。素朴な形式的には未完成な、初期の小説がいいのかもしれない。

 夕食後歩く。

 

1999年7月2日。 金曜日。曇り時々雨。

 今日は附連のPTA指導者講習会のため、特別時間割。授業終了後すぐに帰って、2時にグランドホテルに行く。

 リチャード・モランの『氷河期を乗り切れ』がやっと届く。少し読むがおもしろい。夜は、T先生が車で送ってくれる。

 

1999年7月3日。 土曜日。晴れ。 

 3時頃暑くて目が覚める。昼から学校に行って仕事。夜、BSで「コロンブス」見る。

 

1999年7月4日。 日曜日。晴れ。 

 129 92 p61  22:11

 11時頃出て、児島へ。4時頃帰り夕方少しひるね。夜、『氷河期を乗りきれ』上終わる。  146 92 p76 1:49

 

1999年7月5日。 月曜日。晴れ。 

 一日中頭の調子がよくなかった。夜、夕食後少し寝る。風呂上がりに本を読んで総合学習の整理。  125 92 p63 23:42

 薬を飲んで寝ることにする。

 

1999年7月6日。 火曜日。晴れ。 

  

1999年7月7日。 水曜日。晴れ。 

 今日も暑い。朝からクーラーを入れる。実践校宛の照会の手紙やらデータベース委員会の次の仕事やらを考える。

  124 87 p62  夜、薬を飲んで寝る。

 

1999年7月8日。 木曜日。晴れ。 

 今日も暑い。空いた時間は全て、データーベース。放課後、会議。その後、実践校照会袋詰め。

 夜、『氷河期を乗りきれ』を終える。よくできている。最後はやめられなくなってしまった。138 99 p74  129 95p69 23:00

 

1999年7月9日。 金曜日。晴れ。 

 今日も暑い。

 6時前に学校を出て、内科医院。夕食後歩く。

 

1999年7月10日。土曜日。晴れ。 

 朝から因島へ。夜、Kの総合学習の実践例をまとめ、郵送。

 

1999年7月11日。日曜日。晴れ。 

 朝8時半に起きる。涼しいが、日差しはきつい。下水が流れにくくなっていたので、掃除。午後はハローズに写真をとりに行く。夕方昼寝。

 

1999年7月12日。月曜日。晴れ。 

 1限授業。研究部で仕事。

 

1999年7月13日。火曜日。晴れ。 

 朝4時に目が覚める。中島敦『幸福』読む。太宰の「ロマネスク」「待つ」読む。。午後、倉庫の本の移動。4時から会議。6時前に帰る。

 

1999年7月14日。水曜日。晴れ。 

 朝から、N教育大学附属中の実践例の修正。放課後は、クラブ。 

 

1999年7月15日。木曜日。晴れ。 

 研究部でデータベースのための原稿整理。午後、研修会。H先生から本が送られていた。大著。

 

1999年7月16日。金曜日。晴れ。 

 放課後、クラブ。サイダーを創り、鉛を融かす。

 

1999年7月17日。土曜日。曇り、夕方から夜、小雨。 

 雲っていた朝は涼しい。9時頃から仕事。11時頃ご飯を食べて学校へ行く。2時過ぎまで仕事をして、帰ってから福山文学館へ行く。思った以上に充実していて、驚く。夜、散歩。

  鴎外『花子』を読む。ロダンが日本女性をモデルにスケッチを2枚描いたというエピソードにボードレールのおもちゃの形而上学をからめる。

  131 90 p64  23:19

 

1999年7月18日。日曜日。雨のち曇り。

 午前中、家で読書。午後、娘が福山へ出るので東福山駅まで送り、ポートピア日化へ行く。「化学」の博物館特集を買ってきて読む。少し昼寝。夕方散歩。

 

1999年7月19日。月曜日。晴れ。 

 終業式。夜、部屋を移動。長女の机を出す。

 旧職員の名簿をアクセスで作る。

 

1999年7月20日。火曜日。晴れ。海の日。 

 今日も朝から片づけ。クーラーを窓に取り付ける。今日は非常に蒸し暑いので、クーラーの効果が発揮される。昼過ぎまで片づける。

 夕方昼寝。夜、散歩。

 小林久三『皇帝のいない八月』(講談社)おもしろい。もっとクーデター側に感情移入してもいいのにと思った。

 

1999年7月21日。水曜日。晴れ。

 今日も大変暑い。クラブの生徒が来ているかも知れないので九時までに行く。まず組合の件。それから、スペイン語をしたり、総合学習。午後、旧職員の名簿をつくる。昼過ぎに音楽の空調機撤去工事現場から出火。五時に帰る。ずっと、クーラーの中。

 

1999年7月22日。木曜日。晴れ。 

 今日もクラブがあるので8時過ぎに学校に行く。クラブの面倒を見ながら、旧職員の名簿の家庭科が落ちていたのでそれを完成させる。それから、データーベースの礼状を印刷。

 昼休みに帰って風呂に入り、再び午後も学校へ。データベースの整理。

 

1999年7月23日。金曜日。晴れ。 

 江藤淳さんが亡くなった。自殺だ。残念だ。しかし、政治的な発言は最近おもしろくなくなっていたから、あまり残念だとは思わない。それよりも、三島の死後、約30年、よく生きてこられたな、という感じだ。三島が感じたように、世間が小説家や文芸評論家に気の利いたことを求める時代は、終わっていたのだ。文芸評論という言葉すら、死語に近い状況だったのだ。

 それにしても、残念なのは、こういうい人の才能を生かせない日本の状況ではなかろうか。人は小説を書く。ただ書くだけではなく、必死で考え、必死で生きて、その生涯を小説に書く。すなわち、文章こそがその人物であると信じて。そして、そこから多様な読みが始まる。そのような世界における最高の知性の存在が光らないとは。

 

1999年7月24日。土曜日。晴れ。 

1999年7月25日。日曜日。晴れ。 

 鴎外の『あそび』(選集二)を読む。仕事をするにもあそび心をという話。

 

 スイカを五個もらってきた。一本だけ蔓が葵い。刈り取ってから一番新しい。農家の主人は、これが最後だからちょっと若いかもしれんが、と言った。帰ってピアノの前にならべて見る。この蔓の枯れてないのが一際目立つ。他は枯れて、収穫してからかなりの日数が経つことがわかる。

 今日から冷やしておけば、明日には食べられます。今年のすいかは甘いので、家中のものが喜んで食べている。

 

1999年7月26日。月曜日。晴れ。

 曇って風がある。台風の影響のようだ。一雨ほしいところである。午前中学校で、総合学習の実践例を修正。

 中島敦『悟浄歎異』(筑摩現代文学大系35)を読む。

 

 歩くだけでなく、車で捜すこともあった。あるいは、広告を頼りに訊ねることもあった。そのひとつに赤煉瓦の塀に苔生している、玄関が北向きの木造家屋があった。土地建物の面積の割には、値段も手頃であるが、如何せん建物が古くて汚い。カーテンのないリビングの窓から中を伺うに、障子は破れ、壁紙は黒くあるいはは茶色に変色している。床の痛みもひどい。この分では、トイレのタイル、陶器も変色して掃除のし甲斐がもあるまい、と思われた。それに襖・障子の傷みもひどかろうと思われた。

 車庫も、古くなっているうちに、基礎がみずぼらしい。ブロックをただ積み重ねたような構造で、おまけに長い年月のせいと日当たりのせいで、一面、野山に散見する洞窟のような趣である。これは、トンネルのように奥をくり抜いて、なおかつ斜めに道路を誘導すれば、庭は狭くなるが、駐車台数は増えるに違いないと、思ったりする。

 しかし、まあそうはいっても、意欲がわかぬのであるから、仕方がない、そのままうっちゃっておくことにした。・・しばらくして、付近を通ると、人が入っているではないか。世の中にはつくづくいろいろな人がいるものだなあと、思った。

 

 井伏鱒二全集の18巻を借りてきて、ざっと読む。随筆とも、小説ともつかぬものが多い。108頁に「因ノ島」というのがある。木になっている蜜柑は自由にとって食べてもいいが、ポケットに入れてはけないというのは嘘である。あるいは、井伏が下宿していた三庄のあるところでは、そのような風習があったのかもしれない。ネーブルを船に積むところを二時間も三時間も飽かず眺めていた、というににはまったくその気持ちがよくわかる。

 荷揚げでも、荷積みでも、港の作業ほどおもしろいものはない。

 梶井基次郎の『檸檬』を読む。どうということはない。

 

 沖にはモーターボートに数人の男女が乗って、水上スキー用のワイヤーを引っ張っていた。船外エンジンの音がウワォオーンとこだまする。後ろに牽引されるスキーヤーはモーターボートの立てる波頭を交差するように右へ左へと移動する。そのために身体を右へ左へと傾ける。手と足に同じような力をかけて、自分が立っている水面に浮かぶ。白い波が踊る。エンジン音が一際大きくなる。

 

 透明なプラスチックの容器の中は白く濁っているが、それでもその中の生命体が生きていることが外から十分に伺うことができた。そのプラスチック容器には、数本のチューブが連結されており、外部の装置に繋がっていた。 

 

1999年7月27日。火曜日。雨。

 H氏から葉書。この前の本の寄贈に対する手紙への返礼。

 台風の影響でずっと雨。夜になって激しく振る。

 5時前に帰る。森鴎外『沈黙の塔』(選集二)読む。

 梅雨明けて雨の呼び戻したる小台風

 ワープロに向かいし部屋のクーラーを止め季節はずれの雨音を聞く

 長女は別間に一人居り次女長男の机と並ぶ

 窓に置きしクーラーは雨風を避けて中にあり室温はにわかに上がる

 仆れし缶から液が漏れ外は静かに雨の降るなり

 

 夏休みのある朝、蜻蛉の羽化をみようと家を出た。いつもなら、まだ家にいる時間である。朝寝坊の僕にとっては、この時間から活動するということは珍しい。それも一人でだ。

  自転車を踏む足はいつもよりも軽い。夏の一日が始まるまえの、よく晴れた早朝。風は暑くはない。空気は透明で、行く手を開く。土埃すらたたぬでこぼこみちを、僕は一心に自転車をこいだ。広道の池の囲りには、酔葉が緑のみずみずしい葉をたれて群生している。そこにいた。銀ヤンマだ。やごから孵ったばかりの銀ヤンマだ。手の上で震える。薄緑の羽が次第に黒くなる。朝日を浴びて、これから飛翔しようと、生命の躍動感を一杯にたたえ、震えている。さあ、飛べ! 大地を羽ばたけ! 誰もいない池の囲りに、僕の声ははずんだ。

 

 戦うことなかれ 人生は徒労なり 戦うことなかれ

 戦うことなかれ 人生は須愈にして去れり 戦うことなかれ

 水のごと 方形にしたがうごと 流されるごと 生きよ

 

 少年達は バテレンに曳航されて 港をでた。これから先のことはわからない。ただ、デウスさまのご加護がありますので、いかなる苦難が待ち受けていようと、恐れるに足りない。青い海原を、船は滑るように南へ南へと進んだ。運命の歯車が、猛烈なスピードで回っていた。二度と返ることのない少年のときと決別だ。

 

1999年7月28日。水曜日。降ったり止んだり。

 台風の影響で、今日も雨。午前午後と学校で、データベースの原稿チェック。Y大附属の書き直し。5時頃帰る。昼に、中四国教育学会の年会費5000円払う。

 夕食後、不在者投票へ。眠くなって8時過ぎから12時頃まで寝る。

 長谷川真理子『科学の目 科学のこころ』(岩波新書)を終える。ジュニア新書の『進化とはなんだろうか』のほうがまとまっていい本だと思った。

 鴎外『桟橋』(選集二)は、洋行する夫を横浜港で見送る妻から見たスケッチである。描写が船が港を離れる速度に対応していて、そのような時間が流れたような感じがする。

 一時頃になってまた、雨が降り出した。太平洋のほうから暖かい湿った空気が流れ込むせいらしい。

 

 梅雨明けは十日といって、必ず晴れるとラジオのアナウンサーが言っていた。しかし、今年は台風の影響を受けやすい。梅雨の初め頃にも小型の台風がいたし、これで三個目の台風に雨が増えている。

 

1999年7月29日。木曜日。雨時々曇り。

 今日も雨。しかし、少しは減った感じ。午前中、コンピュータ講習会。午後、実践録の編集。4時頃学校をでて、U先生の松葉採集に鋼管のほうへ行く。夕食前に、ポートピア日化の啓文社へ行って、スターウォーズを4冊買ってくる。

 

 雨の降る夜だった。ある集まりに参加しないかと、友人のHに誘われて、私はのこのこと出かけて行った。ただ友人を紹介するから、と言うので、どんな会かと訊ねても、きっと気にいってもらえるだろうというだけで、それ以上は答えようとはしなかった。

 狭い路地を右へ左へと何度か入っていくと、こんなところにこのような邸宅があったとは、と思われるような、木造洋館造りの邸宅が、敷地を接する両家の間に立っていた。緑色のペンキは長の雨風に襲われ、方々に乾涸らびて落剥していたが、それがまた周囲の植木とよくあっていた。

 

1999年7月30日。金曜日。晴れ。

 今日も朝から学校。今日はN先生の原稿の最後をワープロで修正する。5時頃帰る。

 昨日、辻邦生氏が亡くなられた。非常に残念だ。

 

1999年7月31日。土曜日。晴れ。

 朝4時前に暑くて目が覚める。小山慶太、『漱石とあたたかな科学』(講談社学術文庫)を終わる。それから、N先生の本校の研究歴の資料をチェック修正。朝まで。子どもは、スターウォーズを見に行く。11時頃まで寝る。

 今日は、今までと違ってさわやかな日だ。

 午後、学校へ行く。新田次郎の「マカオ幻想」などの短編を読む。それから山崎豊子の『沈まぬ太陽』(三)を100頁ほど。ガソリンを入れて帰る。夕食前に総合学習について読む。夕食後散歩。9時過ぎに風が吹くがやはり、暑い。

Lost Days

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