夕凪亭別館

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1972年5月

Lost Days 

1972年5月5日。子どもの日。

 ニーチェ小林秀雄を引っ張り出して読む。

 最近,推薦図書ばかり読んでいるものだから,少々堅苦しくなったのである。

 人生に誤解はつきものである。深いものほど誤解を受けやすいのだから仕方がない。

 ニーチェは言う。孤独を撰ぶにはそれだけの強さを備えていなければならぬ,と。また,小林秀雄は言う。偉大な思想ほど,早く滅びるものであると。今,いや時々,僕の頭の中をEinsteinの伝記が走り去る。何という偉大な魂であることか。誤解や不理解に決していらだつことなく,自分の信ずるところを,信ずる方法によって,突き進んだ。並の人間にできることではない。

 

1972年5月11日。

 夕食後,テレビを見て,部屋に帰ると,ふと考えこんでしまう。生きていることがはかなく感じられるのが現実である。

 意味があるとは言わない。意味がないとも言わない。意味がないからこそ生きるんだという意見には感動させられるが,それゆえに人を生に留めておくということは不可能だと僕は思う。

 従来,僕はだれのためにも生きない。もちろん僕自身の為にも生きているのではない。

 ただ生きているというだけである。ただ,それだけ。何もないのだ。

 

1972年5月28日。日曜日。

 日記にまともなことも書けないのだから,僕は今でも書くことが下手なのではあるまいか。

 

1972年5月29日。月曜日。

 時々,生きているのが儚くてどうしょうも無くなるときがある。いつまでたってもこんなことばっかり僕は考えている。

 人間って一体何だろう。-ということは質問するだけ無意味であろう。

 やはり,いかに生きるかを問うべきであって,可能な限りに有効に生きるのがいいだろう。

 

 読書について。

 読書というのもを僕がしなかったら,単一な方向に向かって,単一な歩みだけしかしない人間になっていただろう。それのほうが,却って幸福であったかもしれない。

 

 すべての有効的なものは,無意味である。それでは無効的なものに意味があるのかというと,そうでもない。人が思っているほど全てのものに意味があるわけではない。

 

 文は人なり-また人は文であるという。自己を露呈しようと思えば,文章を書くのが一番よい。誰も読まない。自分も読まない。それでもいい。自分の生きるということの証として可能な限り書くのがよい。

 いや,人生の証などいらない。

 そもそも,人生に意味はないのだから。

 -また,人生に意味がないとか生きるに値するカミュ等の思考ににたいして-

 それゆえに,生きることをに意味を与えようとは僕は思わない。どんなに意味を与えようとしても,もともと意味のないものには,意味はない。あたかも0に何を掛けても0であるように。

 Lost Days