夕凪亭別館

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1992年7月

1992年7月1日水曜日。晴れ。一時雨、夜少し雨。
 朝、バスで行く。バスの中は“Childhood's End”。朝、「ボヴァリー夫人」 を少し。それから、「ネゴシェイター」を少し。空いた時間は、出席簿の整理と“Chikdhood's End”。午後は5年生の成績を出したり、進路研修会用資料を作ったりして4時15分のバスで帰る。帰って再び“Childhood's End”
 やっと“Childhood's End”を終えた。
 夜、三島全集少し読む。
 
1992年7月2日木曜日。晴れ。一時雨。
 朝7時に起きる。全員ほぼ同じ頃起きる。今日は息子も一緒に起きて食パンを食べている。車で行く。8時前から「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」。空いた時間はSidney Sheldonの“A Stranger in the Mirror”をずっと読む。13時から約1時間にわたって職員の避難訓練。少し仕事をしてから帰る。帰って“A Stranger in the Mirror”を読んだり、9月の実力テストの問題の編成にかかる。夕食後はビデオで「ターミネイター2」を再び見る。“A Stranger in the Mirror”は86頁。戦争から帰ったトビーがハリウッドで俳優学校に入り、そこでやっとプロダクション入りをするというところ。一種のサクセスストーリーでああるが、なかなかおもしろい。
 “Her”は131頁。約三分の二か。ストリーは単純で、おまけに語彙も少なくて読みやすい。
 
1992年7月3日金曜日。晴れ。
 朝、7時40分に家を出て車で学校へ行く。「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」を読む。
 5時半頃帰る。英語で量子力学の本を少し。庭の草刈り。食事入浴後、衛星放送で映画「伊豆の踊子」を見る。
 
1992年7月4日土曜日。晴れ。
 朝7時半に起きる。8時頃車で行く。「ボヴァリー夫人」を少し読む。ショートホームの後、選択群用の出席簿を作る。6年評定を書いて出す。午後、Cohenの“The Birth of New Physics”(A Pelocan Book)を少し読む。おも しろいのだが少し理解に苦しむ。
 並木美喜雄の「量子力学入門」(岩波新書)の74頁に因果律が出てくる。ニュートン力学は決定論である。確かに、物理現象の多くはこの法則の支配下にある。しかし、人類の歴史すべてが、初期条件で決定されているのだろうか。そういう考えを僕は信じない。人間の未来を決定するものはやはり人間であって、他の何物でもない。
 Isaac Asimovの“Please Explain”(Coronet Books)をひとつ読む。
 それにBrady,Holumの“Fundamentals of Chemistry 3/E”(Wiley)を少し読む 。また、「フランス文学案内」(岩波文庫)、「創世記」(岩波文庫)。
 午後、南小学校へ次女の絵が展示されているということで見に行く。
 三島由起夫「春子」をやっとおわった。風呂へ入って食事をして学校へ行く。理工物理クラブのハムコンテストの泊まりということで、Y先生が泊まるのでご一緒した。「文学概論」「ネゴシェイター」を読む。「永遠のギリシア美術」を終える。“A Stranger in the Mirror”はたいへんおもしろく107頁である。
 
1992年7月5日日曜日。晴れ。
 朝、帰ってきて、「坊っちゃん」を読む。そのほか「創世記」「フランス文学案内」。“Please Explain”、“Fundamentals of Chemistry 3/E”“The Birth of New Physics”、三島の「サーカス」などを読む。
  夕方、映画で「ロメオとジュリエット」の残りを観る。
 “Her”は210頁。
 
1992年7月6日月曜日。晴れ。
 朝、車で行く。「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」を読む。1、3限は6年。テストを返し、有機化学へ入る。2限は5年。テストを返し、アルミについて補う。昼休みは「文学概論」、「平家物語」など読む。
 放課後は教官会議。5時すぎに帰る。夕食は野菜炒め。豆腐。
 “A Stranger in the Mirror”を少し。「フランス文学案内」を終える。
 “A Stranger in the Mirror”はあまりすすまなくて122頁。
 
1992年7月7日火曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。8時前より「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」。
 1限は懇談案内。2限は5年。テスト返却と解説。3限は3年の成績評価。昼休みは「文学概論」と「平家物語」。5、6限は6年の授業。放課後は通知表の一部記入。そのあと並木美喜雄の「量子力学入門」と“A Stranger in the Mirror”。“A Stranger in the Mirror”は前作ほど面白くはないが、それでもストリー展開は面白い。今136頁。
 5時半のバスで帰って、関根正雄訳「創世記」(岩波文庫)を終える。
 夕食はイシモチの天婦羅。サラダ。
 読書は、他に「鎌倉執権政治」「海潮音」「絵のない絵本」、三島の短篇「翼」。“Please Explain”“The Birth of New Physics”。“Her”は240頁。
 長女は乱歩全集の23巻を読んでしまった。
 
1992年7月8日水曜日。晴れ。
 朝、車で行く。「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」。
 1限は志望校調査の紙の整理。2、3限は6年。炭化水素。4限は3年。電気エネルギー。テスト返却。午後は通知表の記入や成績の転記で時間が過ぎてしまう。
 放課後は4人ほど面接をし、並木美喜雄の「量子力学入門」を少し読んで、5時過ぎに帰る。帰ってすぐ「海潮音」を読んで終える。夕食はお好焼き。入浴後、「絵のない絵本」を少し。“Her”を読んで260頁。早く終えてしまいたい。このあたりにきてやっと、すごい作品だということがわかる。ここまではなかなか書けないと思う。構成も明確だし、作者の主題もよくわかる。言葉で言えないが、主題らしきものがわかった。
 
1992年7月9日木曜日。晴れ。
 暑い一日。朝バスで行く。8時より化学の補習。全校集会。1限は5年。アルミの復習。2限は成績資料作り。3限は学年会。食事をして昼もずっと資料作り。5限は合同ロング。4時まで成績の一覧表記入。4時から6時まで研修会。Y先生の車で帰る。夕食はギョーザとソーメン。入浴後、「絵のない絵本」をⅣで終える。その後“Her”。今、285頁。
 
1992年7月11日金曜日。晴れのち雷雨。
 朝、バスで行く。昨日より暑い一日。「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」。1限は5年。アルミのまとめ。2限はクラス書類の整理。3限は6年文系。元素分析とアルケン。4限は食事をして「文学概論」と「平家物語」。「平家物語」は二巻が終わった。昼休みは生徒面談。5限は成績一覧表の作成。6限は6年理系。アルケン。放課後は面談。5時半のバスで帰る。“Her”を終える。夕 食は南京とシシャモ。夜雷雨。これで梅雨明けか。「ゲーテ詩集(一)」終える。“A Stranger in the Mirror”は155頁。
 
1992年7月11日土曜日。晴れ後雨。
 朝、7時半に家を出て、因島へ帰る。すぐに散髪。昼ご飯を食べて福山へ戻り、一度家に帰ってから、1時過ぎに学校へ行く。六時まで学年会議。帰ってから川副国基の「小林秀雄」(学燈文庫)を読んで終える。岩波文庫の「唐詩選」も「存在と時間」も揃っていないがもってきた。途中から読んでみたいと思う。
 「存在と時間」、第35節「おしゃべり」について読む。よくわからない。やたらと、原語のルビをふったり括弧で語句を補ったりして、はなはだ一般の読書には不適切な訳書ではないかと思う。そういうドイツ語のルビは無視して、翻訳された日本語として、この翻訳書を読みたいと思う。きちんとした語られたこと、書かれたことにたいして、いわゆるおしゃべりというのは、やがて聞き伝え、受け売り、うわさ話となって、根無し草的になる。それにまつわる存在者とか実存性といわれても、意味はわからない。
 「唐詩選(下)」少し読む。「風蕭々として易水寒し。壮士一度去ってまた帰らず」というのが、故事としてでてくる。この語句は何度反芻してもいい文句だと思う。
 円地文子訳の「源氏物語(一)」で「葵」を少し読む。六条御息所の悪霊が出てくるところ。祟られるほうは、これは健康上の理由をまわりがそのように解釈するだけだから、そのことをいかように書こうとも、それはいつの時代にも納得できる。しかし、祟るほうが、出ていったということを感じるようになるというのは、現実的ではない。しかし、ここの描写は見事というほかない。
 ヴァレリー「若きパルク」を少し読む。よくわからない。
 夜、激しく雨が降る。梅雨のしまいの名残雨だ。
 
1992年7月12日日曜日。雨。
 朝食後から読書。まず、「坊っちゃん」を少し。土佐踊りを何とも言えない描写で記しているのにはまいった。こういう表現は漱石しかできまいと思う。続いて、芥川の「ひょつとこ」を読む。よく観察できている。人物としてはいまひとつであるが、それでも、これだけのことが書ければいい。「人の噂では、日露戦争頃に。秋田あたりの岩緑青を買占めにかかゝたのが、富つたので、それ迄は老舗といふ丈で、お得意の数も指を折る程しか無かったと云ふ」全集1 p.115.岩波書店1977。続いて「松江印象記」を読む。ここに芥川が記しているように、松江の特徴である水の都の便をもっと活用して一個の芸術作品のような町にしておれは、今の松江のように寂しい町にはならなかったろうにと思う。
 久しぶりに「渋江抽斎」を読む。粘り強さというか執拗さというのは、まるで自然科学の研究をしているようである。鴎外の偉業というのは畢境するに、意志の強さによるのではなかろうか。それに比べると、僕などは意志薄弱でその逆を行なっているようなものだ。    
 “A Stranger in the Mirror”を少し読んで181頁。トビーは成功するが性格的には矛盾した孤独な人物として作者は冷ややかに描く。一方、ヒロインのジョセフィーネもハリウッドに出るが、一度一行の台詞を言っただけで、まだ大スターになるには遠いい。
 関場武「国語国文学古典研究Ⅴー随筆文学ー」(慶応通信)を読む。数々のパロディの存在そのものが実におもしろい。
 テレビで宮崎駿監督作品の紹介を見る。
 ロバート・マイアルという人の「謎の円盤UFO」の1をよみ始める。
 「唐詩選(下)」やっと李白が出てくる。
 三島由紀夫離宮の松」。どうということのない小説だと思っていたら、最後に子供を若いアベックに預けて逃げたところが、おもしろい。
 「存在と時間」、第36節「好奇心」について読む。根本的なことは何も記していない。「見る働きだけが存在を見いだす」「(見るというのは遠くを近付けることで、こういう在り方において)現存在は彼自身から免れようとしている。」
 何を求めてこのような乱読をするのか。自分でもわからなくなる。ひとつの目的は小説とは何かというぼく自身の根源的な問いに発している。しからば、その他の書物はなぜか、というとやはり、自分なりに人間とはという問いを考えたいからである。
 夜9時より教育テレビで演劇「サロメ」を見る。途中までみた。
 その後、辻邦生「時の終りへの旅」を少し読む。こういうエッセーはいつどこを読んでも感動する。
 
1992年7月13日月曜日。晴れ。
 朝、車で行く。「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」。1限と3限は6年。アセチレンの実験。同じ実験をしても文系のほうがうまいのには負ける。この頃の生徒は知識、それも断片的な表面だけの知識で思考がなく応用がきかない。こういうのが日本の中心世代になったとき、国は衰退する。二〇世紀の後半に稀に見る経済力をつけ、世界中から食料品を買い集めた東洋の島国も、二一世紀には再び、一風変わった後進国になってしまうのではないか。
 2限は5年。遷移元素。昼食後は「文学概論」と「平家物語」。「平家物語」は第3巻に入る。午後は指定校推薦生徒の資料作り。4時から6時までその確認作業。
 6時半に帰る。夕食は手作りコロッケ。入浴後、安田元久「鎌倉執権政治」(教育社歴史新書)を読み、終える。何とも不思議な時代である。きわめて合理的かと思えば、必ず起こる権力闘争で優秀な人材を次々と失っていく。まるで自分の足を喰っていく蛸のようなものだ。
 
1992年7月14日火曜日。晴れ。一時雨。
 朝バスで行く。「ボヴァリー夫人」を少し読む。今日は長かったので「ネゴシェイター」は読まず。1限は並木美喜雄の「量子力学入門」を読む。2限は5年遷移元素。三限も「量子力学入門」。昼食後は「文学概論」と「平家物語」。「平家物語」は「足摺り」。俊寛の描写は見事。午後は図書館で「素粒子物理」を借りて来る。5年のプリントを作ってからずっと「量子力学入門」を読んで、5時半のバスで帰る。帰って「量子力学入門」を読んで終える。すぐに夕食。夕食はサラダと素麺。
 入浴後は“A Stranger in the Mirror”を読んで200頁。
 「謎の円盤UFO(1)」少し。
 
1992年7月15日水曜日。晴れのち雨。
 朝バスで行く。「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」。1限は「化学漫談」。2限は6年理系。アルケン、アルキンのまとめ。3限は6年文系。4限は3年力学台車。昼食後は「謎の円盤UFO(1)」。2時より調査書作成委員会。3 時から推薦委員会。5時より7時半まで学年井戸端会議。7時半過ぎに妻に車で迎えにきてもらう。夕食はカボチャ。入浴後日記を書いて、実力テストを作る。
 
1992年7月16日木曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。化学の補習。1限は5年。銀、銅、鉄の化合物。2限は「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」を読む。3限は学年会。昼食後「文学概論」。1時40分より、進路研修会。空いた時間は「謎の円盤UFO(1)」。5時 半のバスで帰る。夕食はバラ寿司。入浴後“A Stranger in the Mirror”を読んで221頁。
 10時から12時まで小説執筆。あまり進まず。
水滸伝」巻の67終える。おもしろい。読み出したら止めれなくなる。
 
1992年7月17日金曜日。雨後晴れ。
 朝、車で行く。「ボヴァリー夫人」と「ネゴシェイター」。1限は5年。鉄イオン。2限は理科会。3限六年文系。アルキン、アルコール。4限三年。速さ。午後写真撮影。1時40分より進路研修会。五時から5時半まで学年会。帰って「ボヴァリー夫人」の残りを読んで終える。
 その後“A Stranger in the Mirror”を読んで232頁。
   
1992年7月18日土曜日。雨後晴れ。
 朝、降っていた。車で行く。高橋義孝訳「魔の山(上)」(新潮文庫)読み始める。「ネゴシェイター」を少し。1限は大掃除。放送による終業式。LHR。 
  懇談をして11時30より教官会議。1時過ぎに帰って食事。晴れて暑い。「化学漫談」を読んで、寝転んで「ヒッピアス(大)」を読んでいたら西風に吹かれながら昼寝をしてしまった。3時より、次女を内科に連れて行き、帰るとバスで学校へ行く。4時に着いて30分ばかり、通知表の記入。4時半に送迎バスに乗り、労働会館「雅」へ行く。職員の送別会、兼ねて新人さんの歓迎会。
 7時半、再び送迎バスに乗り学校まで帰る。学校からはY先生が乗せてくれる。その後、歴史小説を書くがすすまない。
 
1992年7月19日日曜日。晴れ。
 朝から暑い。これでは梅雨開けだ。しかし、空気はやや湿っぽく、日本の夏という感じ。起きてすぐ「坊っちゃん」を読んだ。多分僕の生涯でこれを読むのは最後ではないかと思う。二度と読むことはなかろう。このように天衣無縫に振る舞えたらおもしろかろうと思うが、僕の教師になりたての頃は、小心でいざこざを起こさぬようやってきた。自分に自信がないのだから仕方がない。今はひとかどの自信はあるが、いざこざを起こすのも面倒で、小心翼々とやっている。
 午後色々と本を読む。
 
1992年7月20日月曜日。晴れのち雷雨。
 朝7時半のバスで行く。「魔の山」を少し。九時から面談。空いた時間は通知表の記入。午後、通知表を終え全生徒の評定の計算に入る。4時半に終え、帰る。バス停よりTさんが送ってくれる。
 今日は読書よりも執筆に専念したい。
 夜、“A Stranger in the Mirror”を読む。最後にきてまた極めておもしろくなった。
 
1992年7月21日火曜日。晴れ。
 朝、車で行く。8時より「魔の山」「ネゴシェイター」。9時より懇談。懇談の合間に“A Stranger in the Mirror”を読む。
 4時半に終わり、啓文社コアにより、Sidney Sheldonの“Bloodline”、“The Sands of Time”の二冊を買ってくる。帰ってすぐに次女を内科医院に連れていく。病状には異常はないということで薬を変更するということ。
 僕もそうだが、うちの家系は咳に弱いのだろうか。
 本日広島地方気象台は広島地方の梅雨開けを発表した。
 
1992年7月22日水曜日。晴れ。
 朝、6時半に起きて、「草枕」読み始める。車で行く。8時前より「魔の山」「ネゴシェイター」。9時より面談。合間に、“A Stranger in the Mirror”を終え、“The Sands of Time”に入る。長女は先日来乱歩全集の「青銅の魔人 」「怪奇四十面相」を立て続けに読んでしまったので図書館からポプラ社の「少年探偵江戸川乱歩全集」と偕成社のルパン全集を借りてきた。おもしろそうなのでこれも読んでみたい。5時過ぎに帰る。家も暑い。ワープロを打つ気にもならず本を読む。“The Sands of Time”は12頁。「謎の円盤UFO(1)」など。
 
1992年7月23日木曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。朝から暑い。「魔の山」「ネゴシェイター」を読む。「謎の円盤UFO(1)」を終える。“The Sands of Time”も少し。
 今日は懇談も少なく、空いた時間はすべて読書。「ネゴシェイター」を中心に読む。5時半のバスで帰る。大気はやや不安定で黒い雲がでるが、雨は降らず。夜は昨日よりは少し涼しいか。
 
1992年7月24日金曜日。晴れ。
 朝、バスで行く。「魔の山」「ネゴシェイター」を読む。「ネゴシェイター」上を終える。4時57分のバスで帰る。“The Sands of Time”を少し。段々と 面白くなる。今日で懇談が終わった。
 今日も暑い一日だったが、昨日よりも過ごしやすい。晴れており雲がないと幕山は高い所なので夕方になると急に涼しくなるのだろうか。昨日は夜になっても暑く不快な一日であった。
 夜、「葉隠入門」と「小説とは何か」読む。このあたりの文章は三島の才能が見事に開花した作品というべきか、どの文章を読んでも、見事な感受性とそれを支える文体の調和が完成している。大和言葉を中心とした柔らかい表現の衣装をとりながら、その実、ほどよく散りばめられた漢語、とりわけ法律政治用語や熟語が文章の論理とあいまって思想を語るに足る文体となっている。
 
1992年7月25日土曜日。晴れ。
 9時頃起きる。やはり学校に朝出ていくていどの生活がよいのか。「草枕」を読む。「坊っちゃん」が一種のユーモア小説なら、こちらは高雅な芸術論小説である。ここに出てくる語彙のすべてが私のよく親しんだものばかりではない。これらの一字一句の来歴出典を知っておればこの小説を読む楽しみは倍加するであろう。それゆえ、この小説は、生きている限りにおいて、是非もう一度読む機会をもちたいものだと思う。しかし、今は今の力量で精一杯読むしかあるまい。
 長女は例によって少年探偵団シリーズを読んでいる。
 少し小説を書いたり、本を読んだりする。今日も暑い一日だった。4時半頃よりクーラーを入れ、一階で本を読む。「五山文学集」「史記列伝」「プラトン全集」「三十棺桶島」「三島由紀夫読本」など。
 「ハーディ短篇集」など読む。9時頃より涼しくなく。
 
1992年7月26日日曜日。晴れ。
 今日も朝から暑い。朝は「草枕」を読む。そうじをしたり、新聞を読んだり。それにしても暑い。朝からクーラーを入れたい気持ちだ。
 朝、投票に行く。午後から因島にみんなで行く予定であったが、息子の調子が悪くてやめる。13時よりバルセロナオリンピックの開会式を見る。“The Sands of Time”がスペインが舞台であり、先日地図で位置を確かめたばかり。夕方 クーラーを入れ“The Sands of Time”を読む。今、62頁。おもしろくなった ところ。
 夕方、息子と散歩。山頂の鉄塔のところは夏草が繁り、進めない。家の連なったところは夕影が長く伸びて大変涼しい。家に帰って夕食。夕食は素麺。風呂からあがって少し“The Sands of Time”を読んだ。これから小説を書く。
 
1992年7月27日月曜日。晴れ。
 朝、8時半に学校へ行く。「魔の山」「ネゴシェイター」を読んで、指定校推薦用資料を作り、図書館で子供用の児童書を借りて帰る。昼ご飯を食べて、妻はプール当番で行き、娘たちもプールへ行ったので息子と遊びながらマクドナルドの「かげの国」(田谷多枝子訳)(太平出版社)を読む。やや翻訳が悪い。後半がおもしろくない。やはり大人にも楽しめるような童話がいいのではないか。
 夕方、少し涼しくなったので庭木に水をやり、草刈りを少しし、塀ぎわによせてゴミの山をならす。夕食は鰯のフライとトンカツ。入浴後、“The Sands of Time”。「化学漫談」。三島由紀夫読本中の高橋和巳の「自殺の形而上学」を読む 。実に見事な分析である。
  
1992年7月28日火曜日。晴れ。
 朝8時のバスで学校へ行く。「魔の山」「ネゴシェイター」を読む。11時半から指定校推薦資料確認。Y先生の車で帰る。クーラーの中で「三十棺桶島」「三島由紀夫読本」中の中村光夫の「金閣寺について」。6時半頃より草刈り。夕食は豆腐オムレツ。入浴後は小林秀雄全集を少し。今10時前になってやっと涼しくなってきた感じ。学校では昨日より涼しいと思ったが、夜は昨日より暑いようだ。クーラーがほしいところ。でも西風は吹いている。小説は昨夜も1時まで書いたが思うように進まない。
 
1992年7月29日水曜日。晴れ。
 朝、車で8時前に学校へ行く。「魔の山」「ネゴシェイター」“The Sands of Time”を読む。午後から補習12人。四時過ぎに帰る。クーラーのきいた部屋 でマクドナルドの「金の鍵」を読む。ファンタジーの世界は独特のものがあるが、物語り性に欠ける。これが児童文学の最高傑作であるなら寂しい限りだ。1時間ほど昼寝。6時頃から草刈り。食事をして入浴。夕食は鯖の煮付けと茄子の煮付け。風呂上がりは“The Sands of Time”を少し読んで118頁。たいへんお もしろい。
 「図書館で小学館の昭和文学全集の渋沢龍彦から村上龍までが入っている一巻を見ながらいろいろなことを考えた。このようないわゆる文学作品であれ大衆小説であれ、言葉によって表現することはいかなることか。大衆小説というのであれば、これは出版というメディアを通して他人に情報や娯楽を与える職業と考えればいい。それはおもしろさを始めとして読者のニーズを満たせばいい。そしてある程度以上売れれば、こんどはその利益を投資して、より素晴らしいものを生めばよいのだから、話はよくわかる。
 しからば、もうひとつの極にある、文学作品というのは何故に書かれるのか。それは作家が最も表現したいものが、音楽や絵画ではなく、文章というもので表現することが最もてきしているからであろうか。あるいは作家にとっては生きている現実の自分よりも書かれた作品世界のほうに、より自分の人生があると考えるからであろうか。あるいは書くことによってしか自分の生存の証を見付けることができないからであろうか。結局同じことだ。そういうタイプの人間のみが小説を書き得る。表現とか美とか価値観とかいうものは、それに付随してついてくるものではなかろうか。
 私なら、四十年の人生はどうであったか。満足か。ある程度は認めている。しかし、それは自己の内部での充実であり、他のどこにもその証拠をみつけることはできない。もし、それが文章として記録されれはそれは、より豊かな人生を僕のために残すであろう。そうでなければ、僕の人生が意味をなさないというのではない。僕はぼくなりに生きている。そしてそれがぼく自身の人生に違いない。
 
1992年7月30日木曜日。晴れ。
 朝6時半に起きて息子をラジオ体操へ連れていく。娘たちに付いて元気よく行くものの、実際ラジオ体操が始まると一人で余所のほう行ってしまった。
 朝、「草枕」を読んで、車で9時半に家を出て、アトラスに寄ってから学校へ行く。「魔の山」「ネゴシェイター」を午前中読む。午後“The Sands of Time ”、「文学概論」「平家物語」「岩波講座日本史」など。「文学概論」中に引用されていた、アリストテレスの「詩学」の一節、歴史は起こったことを書き、文学は起こることを書く、それ故、歴史は個別であり文学は普遍となり、より哲学的であるというのは、よくわかった。
 4時過ぎに帰り、クーラーの効いた部屋の中で「三十棺桶島」「月夜のはちどう山」を読む。6時頃から草刈り。夕食。夕食は素麺。入浴。入浴後は三島「クロスワードパズル」を読みながら寝てしまった。9時頃起きて、テレビでオリンピックの水泳競技を見る。いつまでも観戦しておきたいが、10時半に二階に上がった。涼しい風が吹いている。夜にならないと、2階が暑くてワープロを使えないのがよくない。
 
1992年7月31日金曜日。晴れ。
 朝8時半に家を出て、因島へ帰る。車の掃除。本の整理。「日本霊異記」「春雨物語」など読む。3時に家を出て、4時頃学校へ着く。5時より指定校推薦確認説明会。6時半に帰る。夕食は野菜炒め。暑い一日だった。学校は四時過ぎは34度だった。
 夜、風巻景次郎・児山信一「明治文学詩歌評釈」。
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