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夕凪亭別館

本館 http://hb8.seikyou.ne.jp/home/crystal/index.htm        博物誌インデックスhttp://hb8.seikyou.ne.jp/home/crystal/Naturalis/Naturalis001.htm        植物誌インデックス http://hb8.seikyou.ne.jp/home/crystal/plants/plant001.htm

1992年8月

Lost Days

1992年8月1日土曜日。晴れ。一時雨。

 朝9時頃起きて「草枕」。それにプラトンの「ヒッピアス()」。11時頃から昼寝。子どもたちはトポスへ買物に行った。昼食後、「西鶴諸国噺」を少し読む。小説を少し。7月分の日記をプリントアウトおよびコピー。フローピィーに入れてあるといっても、やはり紙に書かれたものが一番生命力は強い。“The Sands of Time”を少し読む。4時過ぎからコアへ行く。帰るときは雨が降りだ した。色々と海外の小説が翻訳されていて、どれもおもしろそうであるが、すべてを読むわけにはいかぬ。でも、読んでみたくなる。“Please Explain”“The Birth of New Physics”を少し。「三十棺桶島」は途中から、すなわち秘密の洞窟がでてきてから俄然おもしろくなってどんどん読み進む。夜は二時間ほど雨が降ってやんだ。涼しい風が吹いて気持ちいい。

 “The Sands of Time”は136頁。

 

1992年8月2日日曜日。晴れ。

 朝9時過ぎに起きる。「草枕」を少し読む。部屋のそうじをして、「月夜のはちどう山」「三十棺桶島」を読む。「ヒッピアス()」を読んで「月夜のはちどう山」を寝転んで読んでいたら寝てしまった。4時頃眼が醒めた。西瓜を食べて、目をさまし、再び「月夜のはちどう山」を最後まで読んだ。どこにでもありふれた童話のようであるが、やはりこれは一流の作品である。登場人物といっても動物であるが、その性格がよく描かれており、ユーモア、勧善懲悪、と傑作の条件を備えている。ちなみにテキストは、はら たかし作、長新太え「月夜のはちどう山」(理論社・日本の児童文学)である。

 文学とは何かという疑問が、というよりも小説とは何かという疑問が一日中頭の中にあって、小説が書けない。原理が先にあってその原理に基づいて書くのではないのだから、どんどん書けばいいようなもののそれが、書けないのである。そういう意味では、作家以前の辻邦生氏の「パリの手記」をはじめとする、さまざまな試みや考察は、大いに参考にはなるが、それを読んだからといって小説が書けるものでもない。やはり、自分で納得のいくまで考え、辻氏が「ピアニストがピアノを弾くように、日記書く」というように、それなりの訓練をしなければいけないのだと思う。しかし、それにしても辻氏の粘り強い思考はやはりとうてい僕などの真似のできるものではないと思う。だから、いろいろ参考にはなるが、やはり僕は僕なりの方法を見付けるしかあるまい。なぜ人は小説を書くのか。「この道より我を生かす道なし、この道を選ぶ」というのは確か武者小路実篤の言葉だったと思うが、これも一つの生き方である。しかし、このように思うだけで小説家になれるか。否である。

 

1992年8月3日月曜日。晴れ。やや涼しい。

 朝から、香川のレオマワールドへ車で行き、夜遅く帰る。

 朝、子供たちがラジオ体操から帰って、それにいろいろと荷物を積むのだが、結局ぼく自身の準備が一番遅くなって、家を出たのは7時22分であった。まず妻の運転で坪生を経て、篠坂から南へ向かい、新幹線の側の備南道路を東にすすみ、つきあたりを再び南下して山陽自動車道の笠岡インターへ入る。そこで運転を代わって、山陽道から瀬戸中央自動車道へ入り、瀬戸大橋の与島のサービスエリアに寄り休憩する。そこまでは大変涼しくクーラーがいらないほどであったから絶好の行楽日和だった。そこで朝食がわりのパンを食べて、再び出発する。近くへ来ると大きな円形のホテルとドームが見えてくる。期待していたよりは少し狭いではないかと、がっかりする。駐車場は大きく採ってあり余裕がある。六百円である。それから少し歩き、エスカレーターでゲートに行き、そこでチケットを買う。入場料と全アトラクション共通の「パスポート」というチケットで、大人が3800円、子供が2400円である。秀蔵もも4才だから2400円払った。中央のウエルカムプラザを経て左に進み、キンダーガーデンに行く。回転木馬は息子は乗れないということで次に進み、いろいろどこも行列ができており、しかたがないので覚悟を決めて待つことにした。まず、キンダーガーデンレイルロードすなわちおもちゃの汽車に乗る。これも3回ほど待った。次にターニングフロートというプールの中を回るだけのものに乗って、どこを見ても列ができているので、次の東の果てにあるマジカルストリートというゾーンに移動する。そこの目玉らしき大きなドーム状のスペースシップ2050という屋内ジェットコースターのところへ行くと、またしても息子は入れないということで隣のレインボーパンディットというところへ行き、並ぶ。これは入ってわかったのだが、気球をあしらったゴンドラに乗りさまざまな人形の間を移動するという非常に楽しい遊具でやっと満足した次第。そこを出ると、既に11時を少し過ぎていたので、走ってキンダーガーデンのステージショウに戻る。にぎやかにやっていたもののストーリー性にも欠け感動的でなかった。それが終わったら、滝の下を通って再びマジカルストリートに行き、フリージングシーという氷の世界へ行った。ここでも何分か待たされたが、これは壮大でおもしろかった。ほんものの氷を使ってあって中は涼しかった。その次にシネマD2というところへ行ったが、息子 はだめだということでパスして今度は船に乗ることにした。少し待ってプラザ行き、イーストレイカーと呼ばれる、船で中央プラザまで行き、次はオリエンタルトリップ行きウェストレイカーでオリエンタルトリップへ行く。着いてすぐエスカレーターで山上に上がり、中央のタイ暁の寺の模造の前を経て、右手の展望台の下で昼食を食べた。それからぐるりと回って、動物園、バード園、それから北京雑技団公演、そして美術館を経て、コブラショーを見て、そこを終わりにした。今度はエスカレーターで下に下りてから。プラザまで歩き、そこから再びイーストレイカーでマジカルストリートまで行った。今度は僕と息子が2回目のレインボーパンディットを見ている間に典子と亜紀子と由起子はスペースシップ2050という屋内ジェットコースターへ入った。その後、僕と亜紀子でそこへ入ったがジェットコースターというものはやはりするものではないと思った。そのあと、今度は典子らがシネマD2へ入っている間に、僕と息子は2回目のフリージ ングシーへ入った。次に僕が一人でシネマD2へ入っている間に他の4人はレイ ンボーパンディットで遊んだ。その後、クラシックカーに乗ったりみんなでまたフリージングシーへ入って、ついにすることがなくなったので、カレー専門店でカレーを食べて、今度は歩いてキンダーガーデンのほうへ移動した。

 

1992年8月4日火曜日。朝方雨のち晴れ。風強し。夜寒いくらい。

 9時過ぎに起き、10時前に車で学校へ行く。途中図書館で乱歩全集を返し、次のものを借りる。それにアレクサンドル・デュマの「モンテ・クリスト伯」(講談社・世界文学全集)を借りてくる。12時過ぎに帰って食事。台風7号の接近で風がよく吹き、涼しい。「ネゴシエイター」「モンテ・クリスト伯」を読みながら、昼寝。6時半頃起きて、庭の草取り。夕食。夕食は素麺。入浴。入浴後、「波」の拾い読み。佐伯彰一氏と塩野七生氏の対談で塩野氏の「ローマ人の物語」とその続編が紹介されている。イタリア在住の歴史家塩野氏はもう十年以上前からイタリア史を題材に歴史物語を発表されてきた人で「海の都の物語」や雑誌連載中のベネチア史などを読んだことがある。その塩野氏が十五年がかりでローマ史に挑むということらしい。このようなひとつのテーマを見付けて書き続けるということはすばらしいことだと思う。とくにこのように歴史を学問としてではなくどちらかというと、文学の領域に近付けて書くということは結局、書いた本人を歴史を題材に語るということで、これはきわめて文学的な営為となる。いや文学そのものであるかもしれない。そいう小説ではない形で歴史を語るというのにはぼく自身もたいへん興味がある。ナラティブヒストリーというのだと思うが、夢のあることで僕もやってみたくなった。

「図書」8月号をちらちらと読む。エカテリーナの件が興味を引いた。それに秋に辻邦生歴史小説集成というのが出ると広告されたいた。ほとんどの小説は読んでいるので、買わなくてもいいような気がする。買っておいておくのもいいような気がする。それにしても辻氏の作品がこういう形で刊行されるのは、うれしい。

 

1992年8月5日水曜日。晴れ。

 朝、5時頃までエッセーを書いたり、小説を読んだりしていたので、今朝は遅くまで寝る予定であったが、途中で起きたので眠くてしょうがないので、「ネゴシエイター」を最後まで読んで寝てしまった。昼ご飯まで。昼食後、衛星放送で林屋喜久蔵の「わたしの昭和芸能史」という落語を一時間見る。こういう長いのを完全に見たというのははじめてではないかと思う。おもしろかった。そのあとサハラ砂漠の隊商を撮ったドキュメントを見た。それに基づく小説を書こうとして、途中で昼寝。六時前まで。夕食で起こされた。夕食は焼き鰺と茄子の煮付け。風呂へ入ってから、すぐに“The Sands of Time”。少し飽きがきた。そしてプラトン全集で「ヒッピアス()」を読んだ。これはよくわかっておもしろい。中味は解説に書いているところ にほぼ尽きると思う。小説を書いていると、松本清張氏が亡くなり、追悼番組をしているということで、1階に下りていき、「ゼロの焦点」のテレビ映画を見る。これは原作を読んで大変感動した作品であり、見応えのある作品になることは予想されたが、期待どおりの作品であった。脚本が橋本忍氏で監督が野村芳太郎氏だから、当然といえば当然の作品であった。しかし、欲をいえばもっと本格的な映画に仕上げてもらいたかった。ニュースキャスターが伝えるところでは松本氏は小説は50を過ぎてから書くものだと言ったそうで大いに勇気づけられた。それにインタビュウーで「ブルドーザーのように開拓していく」という発言が印象的だった。平日ほどではないが、午後少し暑かった。夜になって涼しくなった。今12時15分であるが、窓から入ってくる風は冷たく秋の夜のようだ。同じ涼しさでも、因島の夜とは少し異なるようだ。何が違うのだろうか。今日だけのことか、あるいは幕山の山の上のせいか風がよく乾いていて、高原の冷気のような気がする。因島の風は、今思うにやはり湿っぽいし、塩分が相当含まれていたのではないかと思ったりする。

 

1992年8月6日木曜日。晴れ。

 昨夜2時に寝て、朝10時に起きる。6時半に子供らが起きてから二階に移動したのがよかった。朝、松本清張氏の訃報を伝える、朝日新聞の記事をゆっくり読んでから11時頃より「草枕」。昼ご飯を食べてから芥川全集で「羅生門」。ついで。「好色二代男」「西鶴諸国噺」を読んで、学校へ行ってくる。本を2、3持って帰る。アトラスに寄りワープロ紙を買う。ガソリンを入れて帰る。

 帰ってから古典体系で「繁野話」「曲亭伝奇花かんざし」を読む。その後。「魔の山」「モンテ=クリスト伯」を少し。4時頃から「三十棺桶島」を読み、夕食、入浴を挾んで、9時過ぎにやっと終わる。ということで今日は一日中本を読んでいたわけであるが、まだ読み足らない。ただ読んでいるだけで、自分の心が揺さ振られていないせいか、草臥れないのである。小説を書こうという衝動が起こらないのだから仕方がない。昨日も少し書いたが、構成の再検討で大半の時間を費やしてしまった。全ての書きかけの小説が、構成なしでスタートしてたいていが十枚前後で息詰まっているのだから、このように構成を自分で考えだしたということはひとつの進歩かもしれない。創作ノートというのは特別のものがあるわけではなく、結局自分で自分なりのスタイルを作りだしていくしかないのではなかろうか。しかし、そうは言っても、文章を毎日書き続けることは大切で、日記にしろ何にしろ、とにかく練習しなければいけないと思う。それに文章に凝れば、それは修業にはなれ、かならず息詰まるのではないかと最近では思っている。普通のスタイルりで滾々と湧きいずるように懸けなくてはだめだと思う。

 昼間少し暑かったが、昨日と同じように、夏にしては随分涼しいものだと思う。今日も午後もずっと2階におれたのだから、やはり涼しい一日だったと言えるのではないか。夜になって今日はやや蒸し暑く風も吹いていないが(10時前)、扇風機を一番弱くしておれば済む程度である。

 

1992年8月7日金曜日。晴れ。

 昨夜3時過ぎに寝たせいか、起きたのは11時半だった。今朝も子供らがラジオ体操に行ってからすぐに2階に上がっていたたのでよく眠れた。そうはいっても子供らの話し声はうるさかったが。せまい家なので仕方がない。新聞を読んでから昼ご飯を食べた。その後、「草枕」それから芥川全集で「鼻」「孤独地獄」を読む。昨夜も長編推理小説について考えていた。いいアイデアが出てこない。やはり才能がないのかと思う。それ以上に努力不足である。読むことにおいても、また書くことにおいても。昨夜「探偵小説百科」というのを読んでいて、もっともっと書く努力、それも速く書く努力をする必要があると思った。

[夜10:30]この後、ずっと長編推理小説の舞台や構成を考える。どんどん書いていくべきであるが、途中ですべて挫折している訳だから、このように構成から攻めていくのにも意味があるように思う。すなわち創作ノートの段階であり、書いたうちにはいらぬが、それでも構成、粗筋をどんどん膨らませていきある程度プロットができたところでディテールを埋めていけばいいのではないか、と思う。ということで、少しの間、創作ノート中心でやっていきたい。しかし、かといっても、今日の読書は少なすぎる。この調子ではまた書けなくなるので、読書もある程度続けたいと思う。今、長編の構想中心だから、その参考文献をあたるのもいいかもしれない。

 

1992年8月8日土曜日。曇り後雨、風強し。

[午後2:30]昨夜3時頃に寝たので、今日は朝起きると10時過ぎだった。新聞を読んで「草枕」を読む。今日はみんなで因島へ行く予定だったが、台風9号が接近して雨が激しくなったの止めた。台風9号は昼前に天草に上陸し一度日本海に抜け再び山口県に上陸したということで、今は東と南から横なぐりの雨と風である。雨戸ががたがたゆれる程度で、突風が吹くというほどのことはないが、木々は激しくゆれている。雨は窓にあたって流れている。

 午後、小林秀雄全集、「魔の山」を読む。「魔の山」はタイトルのついたエピソードが綿々と続いて、時には回想もまじえながら、大きな織物が編まれているような感じですすんでいく。かつての私小説作家というのはこういう形で自分中心世界を綴っていったのであろうか。少しやり方は違うにしても、ひとつの方法であるあかもしれない。

 

1992年8月9日日曜日。晴れ。

 早いものでもう9日である。台風一過、まばゆいばかりの青空、強いぎらぎらした日差し。しかし、すぐに曇り、涼しい日となる。朝、「草枕」「魔の山」「モンテ・クリスト伯」「裸の王様」。

 昼食後、皆で因島へ行き、5時前に出て、福山へ6時頃帰る。夕食後、子供らと大谷台小学校のほうへ散歩。

 “The Sands of Time”は165頁であまり進んでいない。物語も尼僧の過去 の話になりあまりおもしろくない。

 

1992年8月10日月曜日。晴れ。

 朝9時に起きる。娘が右腿が痛いという。昨日、因島で歩いているときも、痛くなったということ。今朝は押し花をするのに座ろうとしたら痛くなったらしい。

 9時半から「草枕」「魔の山」「モンテ・クリスト伯」と読む。今10時半。はやいもので10時半になった。

[7時10分]ずっと、5枚の童話「なわとびをした猫」を直し続け、昼すぎにやっと完成し、A4に拡大コピーして応募した。夕方は最近では少し暑く、ワープロをうつ気にもなれず、だらだらと本を読んだりする。「渋江抽斎」芥川全集で「父」、それでもやる気がでなくて、5、6月の日記を打ち出しながら、「三角金」を読んだ。息子は体が昼頃から熱いと思っていたらやはり熱があった。夕方から氷枕で冷やし、夕ご飯を食べず寝てしまった。夕食は娘がカレーを作った。すぐに風呂に入ってから出ると、少し涼しくなった。もう7時頃から薄暗くなり、今7時25分では外はもうくらい。今室温は30.1℃

 

1992年8月11日火曜日。晴れ。

[3:15PM]室温30.9℃。暑い日だ。昨夜1時過ぎに寝ようと思ったのだがテレビをつけてみると「時代屋の女房」というのをやっていて、おもしろいので最後まで見てしまった。よくできた作品である。人物も主人公を中心に多彩でおもしろいと思った。今朝は8時前に娘が水やり当番だということで、すぐ起きて、車で学校まで連れて行く。帰って2階へあがって寝る。11時半に起きて昼ご飯。「草枕」を少し読んで学校へ車で行く。帰りにアトラスへ寄って、封筒などを買ってくる。西瓜を食べてから、娘たちの描いた宇宙の絵の解説文をコピーして送るようにする。

 今、やっと東から風が入って少し涼しい感じがしたが、風は長続きしない。やや曇ってきた。

[10:30PM]室温29.7℃。夕方、それに夕食入浴後に書いてやっと6枚の童話「しらたき山の豆ダヌキ」を書き上げた。昨日に続いて2作目の童話である。書いておると本が読めないが、しかし今は調子が出たので、このまま書き続けることにしよう。夜になって少し涼しくなったか。

 

1992年8月12日水曜日。曇り一時雨。

 [10:40AM]27.9℃。9時50分に起きる。新聞を読んで「草枕」を少し。 読書もしたいが、書きたいのですぐにワープロに向かう。今日は朝から曇っていて、先程来断続的に小雨が降っている。

 昨夜は2時半くらいまで、小説の構想を練っていたので、今朝は眠たい。最近は童話のような短いものを除くと、先へすすまずに創作ノートのほうに力をそそいでいる。ついこの前からやり始めた方法であるが、こうして、構成、主題、分類、人物、舞台、粗筋、素材と細かく気の趣くままに書いてみると、いかに何も考えずに行き当たりばったりで書いていたかということがよくわかる。ああいう調子では、よく行って30枚が限度で、10枚前後で息切れがしてしまうのがよくわかった。こうして構成などを考えてそれからストリーを膨らませていくのがいいように思えた。こうしてきちんと書けばいくらでも書けるような気がする。できるだけ創作ノートの段階で膨らませてみよう。

 午後午後因島に帰る。すぐに散髪。3300円。その後、因島市役所へ行き、回数券と所得証明。帰って、ゴルゴ13を読む。夕食後すぐ寝て1時頃まから再び起きて本を読む。朝少し寝る。

 

1992年8月13日木曜日。晴れ。

 因島。11時頃起きる。北条泰時について百科事典で調べる。3時より親戚の初盆。夜、歌舞伎十八番の「勧進帳」を読む。

 

1992年8月14日金曜日。晴れ。一時雨。

 因島にて。10時頃から因島高校同窓会に行く。片付けを終わって、家に帰り風呂に入り、今度は学年同窓会に参加。一次会はフェリーボート。二次会はスナック、三次会は宝来寿司。1時頃帰る。

 

1992年8月15日土曜日。晴れ。

 11時頃起きて、1時過ぎに因島を出て、福山へ戻る。暑いので本も読まず、ぶらぶらとする。娘の粘土細工を手伝う。

 夕食後「昭和犯罪史」「推理小説入門」を読む。

 夜、10時より、衛星放送で「眠狂四郎・魔性の肌」を見る。大変おもしろい。その後、「ぬいぐるみと旅する男」創作ノート。相当すすむ。

 

1992年8月16日日曜日。晴れ。

 8時のバスでで学校へ行く。6時50分に終わり、7時15分の大谷台行きのバスで帰る予定が乗り遅れて30分のバスで帰る。その間本屋によりフォーセット「ムレムの書・1タルウェの旅立ち」(富士見文庫)というのを買って帰る。

 帰ると、息子が頭にりんごを保護するネットのようなのを被ってうどんを食べており、どうしたのかと思ったら、昼間みんなで井原市営プールで背もたれのない椅子に座っていて、背もたれがあるつもりで後によりかかったとき転倒して頭の後部を殴打し血管が切れて出血したらしい。すぐに救急車で井原の小田病院へ運ばれて3針縫ったということらしい。昼寝をしたあと、僕が帰る直前に起きたということで、今度は元気になって11時過ぎまで寝なかった。「クロッシング・リング」の構想が浮かびそのメモと「プラトニックな殺意」のメモをワープロで打ってから子どもの相手をする。

 その後、ずっと朝5時まで「プラトニックな殺意」の創作ノート。

 

1992年8月17日月曜日。雨後晴れ。

 朝5時頃寝て11時過ぎに起きる。午後、車で学校へ。「文学概論」を読む。帰ってから、コアへディズニーランドのガイドブックを買いに行く。ディズニーランドへは来年行く予定である。コアではとくにファンタジー少し立ち読みする。アトラスでLやT字金具を買って帰り家の前の藤だなの補修をする。その後、「しらたき山の豆ダヌキ」(6枚)を打ち出して、拡大コピーし郵送の準備をした。夕食は焼肉。「モンテ・クリスト伯」少し読む。

 夜、「新・部長刑事」ストーリーとして「悪意の増幅」(5枚)を書いて打ち出し、コピーした。「金三角」少し読む。2時半に寝る。

   

1992年8月18日火曜日。雨風ともに強し。

 11時頃起きて新聞をゆっくりと読む。ロシアの武器輸出の記事がおもしろい。昼ご飯を食べてから車で学校へ行く。途中、郵便局により、「しらたき山の豆ダヌキ」「悪意の増幅」を投函。郵送費は各120円。それからリトル・マーメイドでコーヒー(スペシャルッブレンド)を200g(780円)を買って学校へ行く。図書館が開いていたので前の本を返して、乱歩全集の残りの4冊の他いろいろ本を借りてきた。雨も強いので帰った。

 夜、古い日記を打ち出した。「モンテ・クリスト伯」「愛せしこの身なれど」を「ドイツ文学入門」少し。「なぞの転校生」を読み始める。

 夜、ずっと「クロッシングリンク」の創作ノート。朝6時に寝る。その前に日本史の勉強。

 

1992年8月19日水曜日。晴れ。

 朝6時に寝て12時頃起きる。雨は止んでいる。寝起き鼻に「リカを呼ぶ海」の構想が浮かぶ。新聞を読んでから「草枕」を読み、やっと終える。この作品はできることなら、20年後くらいにもう一度読んでみたいと思う。高校のとき、2年のときの校長であった細見氏がいつかの話で「草枕」は年をとって読むと、若いときに読んでのとはまた違った印象がある、というのを話されたと思う。高校1年の時読んだイメージが間違ってなかったということがよくわかった。この境地、は素晴らしいが真似はできないと、残念ながら思う。

 午後、「リカを呼ぶ海」の創作ノートを少し書いて、部屋にバルサンをした。「ドイツ文学入門」を少し読んでから、眉村卓の「なぞの転校生」と同書中の「侵された都市」という二つのSF作品を読む。夕食はスパゲティ。夕食後“The Sands of Time”を少し読む。あまり進んでいなくて今193頁。

 その後、「モンテ・クリスト伯」を少し。

 夜、「ポルターガイスト3」を見て、寝てしまった。

 

1992年8月20日木曜日。曇り、小雨のち晴れ。夕方また小雨。

 朝、7時頃起きる。久々に朝ご飯というものを食べた。といっても小さなパンひとつと牛乳少しだけであるが。新聞を読んでから「二百十日」を今日から読み始める。その後、芥川の「蚤」「酒蟲」。そして「愛せしこの身なれど」を少し。 

「クロッシクグリンク」を少し書いてから、11時頃に筒井康隆の「時をかける少女」(鶴書房)というのを読みかけて寝てしまった。1時間ほどして起こされて、みんなで沼隈半島のスカイラインをドライブしながら娘の植物採集用の花を集める。途中、探険の森に寄る。ほとんど放置されたままの荒れ放題に唖然とする。それでも、鹿と孔雀だけはちゃんと飼育されていた。公園として整備すべきだろうが、行政がやっても成功しないから、ほってあるのだと思う。

 帰ってから「クロッシクグリンク」。夕食は鯖の煮付けと南京、素麺瓜。風呂へ入ってから1時間ほど寝る。それからまた、「クロッシクグリンク」。5~6枚は書いたのだろうか。しんどい話だ、夜中に筒井康隆の「時をかける少女」、それに同書中の「悪夢の真相」「果てしなき多元宇宙」を読む。

 

1992年8月21日金曜日。晴れ。夜中に雨。

 9時に起きる。昨夜2時頃寝たので眠たい。新聞を読んでから「二百十日」を少し読む。それから芥川全集で「仙人」と「野呂松人形」を読む。こういう調子で少しずつ読んでいけばいくらでも読めるのであるが、小説のほうを書かなければいけないので、とりあえずここでやめて「クロッシクグリンク」にかかりたい。その後、ずっと「クロッシクグリンク」を書いて、昼食後学校へ行く。開いた時間は「魔の山」と「文学概論」を読む。帰りに、コアにより学研の図鑑「恐竜」と週間文春を買ってくる。その後、ただひたすら「クロッシクグリンク」。

 

1992年8月22日土曜日。晴れ。ときどき雨。

 朝7時20分に起きる。車で学校へ行く。朝、「魔の山」と「文学概論」。後、開いた時間は「紅孔雀」の創作ノート。それから、「クロッシクグリンク」を書く。2時頃帰って書く。今(19時30分)27枚。思ったより進まないのでまた、ストーリを追加しようと思う。それに創作ノートのほうを手直ししていくのも手かもしれない。 

 夜、8時頃寝て10時に起きた。夜中にはじめのほうを書きなおして32枚にする。

 

1992年8月23日日曜日。晴れ。

 あさ7時過ぎに起きて8時のバスで学校へ行く。途中「魔の山」、「文学概論」を読む。あと「クロッシクグリンク」を6枚ほど書く。疲れたので国文学の三島特集を読む。夜、7時15分のバスで帰る。さらに6枚ほど書いて寝る。29.7℃。夜になってやや風が吹く。

 

1992年8月24日月曜日。晴れ。時々雨。夕方より雨。

 朝8時頃起きる。新聞を読んでから、「二百十日」。それに芥川全集で「猿」を読む。日記を打ち出そうとしたら、またまた印刷機の調子が悪くなった。システムのフロッピーだと思っていたのだが、どうやら日によって違うらしい。

 今朝は涼しい風が吹いているので、凌ぎやすい一日になるかと思っていたら、先程から暑くなった。扇風機を入れようかと思う。今、9時10分で、27.3℃。これから「クロッシクグリンク」を書く。本が読めないが仕方がない。

 印刷中に「モンテ・クリスト伯」を読む。ナポレポンが登場する。こういうようにフィクションの背景を歴史的事実と絡ませるのが面白くてよいと思う。三島の「豊饒の海」は背景として使い実在の者を出してないが大衆小説ではそのものを背景に使えばいいと思う。

 朝少し書いて20枚までいった。午後1~2枚書いて、2時に図書館でSFを数冊借りてきた。辻邦生「遥かなる旅への追想」(新潮社)が生協から届いた。少し書いて、4時頃から6時頃まで寝てしまった。今日は夜中まで書きたい。材料は揃っているのだから、すぐにでも書けそうであるのになかなか進まない。午前中小雨だったのが、午後には本格的に降り出した。夏の雨は気温が下がっていい反面、湿度があがって蒸し蒸しするのがよくない。今、夜7時で、29.3℃。  

 

1992年8月25日火曜日。晴れ。

 夜中は雨が降っていた。朝も降っていたかのかも知れない。朝、3時まで「クロッシングリンク」を書いていて、その後寝付けないで4時頃寝たのではないかと思う。朝、すぐ2階に上がって寝たのである。雨が降っているような気がした。12時すぎに起きた。新聞を読んでご飯を食べたら1時になっていた。曇りで涼しい。「二百十日」を読んで、芥川全集で「手巾」「出帆」を読む。「クロッシングリンク」をは昨日の夜37枚で行っていたが、この調子では250枚まで行くのに時間がかかりすぎるので、既に構想の成り立っている後半を構想を少し膨らせて全体の形を見てみようと思う。

 全体の形を見ると、まだまだ完成には遠いように思える。月末までの予定をやめて、もう一度新しい気持ちでとりかかったほうがいいのではないかと思う。

 林えり子「愛せしこの身なれど」(新潮社)を終えた。竹久夢二という人物がこれでは好きになれないが、人は見る角度によっていろいろである。

 

1992年8月26日水曜日。晴れ。朝一時雨。のち晴れ。

 8時頃起きる。新聞を読んで、漱石全集(二)で「二百十日」を終える。芥川全集で「煙管」を読む。 

 何もする気がしない。8月中にしないといけないことはPR紙への原稿と、実力テストである。これらを先に済ませてから、また何か書くことにしようかと思う。今9時50分で、曇っていて少し涼しい。小雨がぱらついたが、そんなに長続きしそうにもない。室温は29.7℃

1915分]31.1℃。今日は少し暑い。湿度も高いのではないか。

 今朝は仁丹の原稿を少し書き、それから日記の8月の前半を打ち出した。そのとき、「モンテ・クリスト伯」を少し読む。昼食後、「繁野話」を読んでいたら、眠くなった。4時頃まで昼寝。4時から衛星放送で「韓国の多島海」の映像を見る。小説の舞台にしたらいいと思いつい見てしまった。その後、ファンタジーの3つをいろいろいじくる。(「クロッシングリンク」「リカを呼ぶ海」「紅孔雀」)

 6時頃から夕食、夕食は鯖の煮付け。入浴。その後、「繁野話」の第3話を読む。狐が妻に化けて殺生をやめさせると言う話。その化けた狐が色っぽいという描写はほとんどないのに、実に色っぽく書いているのはおもしろい。それとその狐が虎を書いた絵に驚いて化けの皮が禿げるのもおもしろいと思った。

 3時頃まで「クロッシングリンク」を書く。

 

1992年8月27日木曜日。晴れ。

 朝、すぐに二階にあがり、十一時頃まで寝る。起きて新聞、それから「野分」を読みはじめる。これは以前読んだと思うが、多分最後まで読んでないと思う。その後、みんなで、車で、境が浜マリンパークへ行く。アフリカの淡水魚やいろいろな魚がおり充分楽しめた。それにアシカショーもよかった。

 かえりにディックへよって感熱紙をかってくる。B5100枚の富士通のものが420円、アトラスでは428円のものである。

 古い日記を打ち出す。「モンテ・クリスト伯」少し。

 夜は10時頃になると涼しい風が吹く。

 

1992年8月28日金曜日。晴れ。

 朝から東風が吹いて涼しい。朝8時頃起きて、新聞を読む。金丸副総理が5億円の佐川急便からの政治献金を受けていることを認めて、辞任したというのがトップ。かっこよく認めて、今度は認めたくない人間に対して相対的に優位にたとうという腹なのか。わけがわからない。

「野分」を読む。その後、光瀬龍の「夕映え作戦」というのを1時間ほど読む。後半はやめる。11時半頃食事。そのあと、娘の宿題の貯金箱のドアのところを削って入りやすくする。12時半に家を出て、図書館に行って、鶴書房のSFベストセラーズシリーズの8冊を返し、新しく同じシリーズの9冊を借りてくる。

 今日は部屋にバルサンをしたので帰ってから4時頃まで下でSFシリーズの解説や後書きを読む。

 今日は朝から台風の影響か東から涼しい風が吹いている。天気としては晴れたり曇ったり。今4時半で。31.6℃

 2時頃、まで書く。

 

1992年8月29日土曜日。晴れ。

 朝から晴れ。今12時で29.7℃。8時に起きる。新聞を読んでパンをひとつ食べる。「野分」。芥川全集で「煙草と悪魔」を読む。そのあと「繁野話」。木曽の山奥で魑魅魍魎の跋扈する世界でおもしろい。10時頃から11時半くらいまで昼寝。

[19:45]30.6℃。夜になって少し涼しくなったか。今日は午後娘の友達がきたので、下でテレビを見ていた。3時前からコアへ行く。ウィングの別冊を買おうと思ったがなかったので何も買わずに帰る。

 夕方、仁丹の原稿を少しいじくる。今日のリビング福山によると、森下仁丹を発明した森下博氏は鞆の出身だということである。この時間はねむたくていけない。少し、気ままな読書をしようと思う。

 辻邦生の「遥かなる旅への追想」(新潮社)を読みはじめる。いつもながら、心に染み入るような文章には陶酔する。

 「クロッシングリンク」を一旦諦め、もちろん少しずつは書き足すとして、「リカを呼ぶ海」(200枚予定)に入る。1節5枚。2節4枚半書いて1時半頃寝る。これはなおして5枚にする予定。

 

1992年8月30日日曜日。晴れ。

 朝から東風がよく吹いている。8時半頃起き、パン一つ。新聞を読んでから、「野分」。ついで芥川全集で「MENSURA ZOILI]と「尾形了斎覚え 書」を読む。両者とも傑作である。

 今10時45分で、29.0℃

 今、夜の8時50分。29.1℃。朝から昼食をはさんでずっと東書の仁丹の原稿を作っていた。夕方完成。もちろん印刷の合間には「モンテ・クリスト伯」を読んで、そうとう進んだ。

 9時過ぎからテレビで映画「エイリアン」を見てから11時過ぎより、小説にかかり「リカを呼ぶ海」の③船上にてと④台風をそれぞれ5枚ずつ計10枚書いて2時に寝る。これで二日連続で一日10枚書けた。いつまで続くやら。

 

1992年8月31日月曜日。晴れ。

 朝8時に起きる。朝ご飯を食べてから「野分」。それから芥川全集で「運」と「道祖問答」を読む。

 その後、昨日書いた「リカを呼ぶ海」を打ち出しながら、「モンテ・クリスト伯」を読む。ますますおもしろくなる。それから「振媛文学賞」の資料が福井県丸岡町から届く。資料などを読み、「ふり姫の物語」(仮題)の構想を練る。

 11時半に食事をして浦上支所。被扶養申請を書いてから、図書館で本を借りてきて、家に帰る。仁丹の原稿投函する。帰ってから海外のSF作品の解説を読む。

 今5時10分で30.4℃。台風の影響かよく風が吹いているので涼しい。眠くなった。

 夜7時。30.2℃。5時半より夕食。夕食はギョーザ。食後入浴して風呂上がりに、「バレリー詩集」「唐詩選」。それに「繁野話」の白菊が変化に惑わされるところを読む。実によく書けている。感心する。

 

風巻景次郎・児山信一「明治文学詩歌評釈」

Lost Days

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