夕凪亭別館

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夕凪亭閑話 2015年4月

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2015年4月1日。水曜日。晴れ。

今週は都合で、福山。午後、図書館と市役所。

桜があっという間に咲いた。三月下旬の気候の変わりかたが劇的だったせいだろう。これでは、あまり春を楽しむ時間がないかも知れない。既に、車の中では暑い。以前、買っていたスキャナーを動かしている。説明書がないので、手探りだ。あってもろくろく読まずに動かしてみるのが、いつものパターンだから、今日も試行錯誤の連続。

 

 

2015年4月2日。木曜日。晴れ。

朝、散歩の後で買い物。桜が満開。美しい。

昼前に笠岡。有田の陶山神社へ。古戦場とのこと。よく見れば小山があちこちにあって、陣をどこに敷くか知恵比べだったことが想像される。

夕方図書館。予約本を取りに行く。

 

 

2015年4月3日。金曜日。曇り後雨。

9時前に出て潮騒荘へ。峯松山登山口の竹を切る。1時間もしないうちに雨。帰る。

早めに昼食を済ませて因島図書館へ。藝藩通志、クボタ100年など。

13時に知人と合流して椋浦へ。椋浦峠からは昔の峠道を通る。急な坂道だが近い。町内散策。

中庄へ。八幡神社の駐車場へ車を駐車して小丸山城跡へ。その後さらに奥へ歩き、天狗山への道を下見。

その後、寺迫の廻国供養塔を探す為に長福寺の駐車場へ。東へ小川沿いに、干拓の境界を感じながら歩いて、簡単に発見。

次に重井の一本松で、畑の中の牛を彫った石碑を写して善興寺へ。瓢箪と駒。廻国供養塔。無縁墓地の中の村四国。長右衛門、上迫宗十郎の墓。初五郎家、伝六家の墓。林蔵の墓。像の腹部に戒名が書いてあるのがわかった。雨のおかげ。

 

 

2015年4月4日。土曜日。晴れ。夜雨。

潮騒荘にて。朝ドラ見るのをやめた。今朝も峯松山登山口の竹を切る。竹の節の中に雨水が溜まると蚊の発生につながるので、節のすぐ上を切るのがよいと気がついた。

夜、福山へ。

 

 

2015年4月5日。日曜日。雨後曇り。

珍しく福山での日曜日。雨が降っているので散歩はしない。ゴミも出す日ではない。・・・ということで、一日中家にいる。家の前の公園の桜は散っているが、仕方がない。古い写真をスキャナーでデジタル化。損傷がひどい。意外な写真の日付が書いてあったりして驚く。

 

 

 

2015年4月6日。月曜日。雨時々曇り。

春の雨期である。朝から雨。昼間も雨。時々やんで曇り空。菜種梅雨と昔からいわれているが、菜の花は黄色く美しく咲いている。桜はぱっと咲いて、もう散っている。

因島市文化財」という冊子の表紙に文政二年己卯の中庄絵図が使われている。土橋とか石橋とか書いてあって興味深い。その中に荒神社がある。その隣りに庄屋がある。

小丸山城跡の隣りに初代地頭釜田兵衛の屋敷跡がある。その隣りが荒神社で荒神堂がある。八幡神社の東側である。

絵図では八幡神社より西に描かれている。山口の公民館のあるあたり。この時代の庄屋が誰で、そこは代々どこに住んでいたのかわかればすぐに解決する。しかし、荒神社の位置が問題として残る。

 

 

2015年4月7日。火曜日。晴れ。

寒い。朝食後散歩。昨日の絵図の再検討。地頭屋敷と庄屋はやはり違う。思いつく名前を当てはめても、文字と合わない。ということでこれは判読不能とする。

午後、向島を経由して潮騒荘へ。向島は久しぶりに西側を回り、岩子島の対岸を通る。向いの島が近いということは面白い景色をつくるものだと思う。見飽きない。

夜になっても寒い。

 

 

2015年4月8日。水曜日。晴れ。

潮騒荘にて。朝、土生の対潮院へ。花まつりで賑わっている。次いで、変電所周辺の島四国。午後、田熊。島四国と岡野明神、藤原神社へ。

夜、福山へ。寒い一日であった。

 

 

2015年4月9日。木曜日。晴れ。

朝散歩してから買い物。今日あたりから寒波は遠ざかるという話だったのに、相変わらず寒い。春になったと思ったら急に暑くなって初夏の陽気というのも困るが、今の季節にこの寒さも歓迎できない。春が長くなっていいのだが、寒がりの私には閉口である。外出したついでに蓬を摘んできた。よもぎ餅をつくる予定。

50年ほど前のフィルがあったので、プリントしてもらった。見たことのない地形があり、とまどっていたら、フィルムを反対にしてプリントしたことがわかった。スキャナーでとって反転しても可能だが、せっかくお金を払っているのだからやり直してもらった。

 

 

2015年4月10日。金曜日。雨。

夜中から雨。これまた意外な感じ。そしてまたまた寒い日になった。

重井のため池、遊水池の写真を載せる。

 

 

2015年4月11日。土曜日。

朝9時過ぎに出て、潮騒荘へ。午後、因島図書館。その後、中庄天狗山へ。八幡神社の西隣りを登り、道が切れたところで東へ進路をとり山の中に入る。道らしい道はないが、やがて石垣があり、道が頂上まで続く。頂上には神武天皇遥拝所の石碑と、寄附石がある。前者は倒れているが3人では土台の上に載せるのは無理。起こしておく。下山は本殿背後の薮に出た。さらに小丸山城跡へ。

 

 

2015年4月12日。日曜日。晴れ。夜雨。

潮騒荘にて。午後、大浜。公民館に駐車して歩く。幸崎城跡。向井山の峠を越えて中庄鼠屋新開へ降りる。中庄側がかなり大きな道が峠まで延びていたのではないかと思われる。しかし、途中で道はわからなくなる。下迄降りてから大楠山の峠を越えて戻る。

夜、福山へ。

 

 

2015年4月13日。月曜日。雨後曇り。

朝から雨。寒い。午後、図書館。

「備後史談」の昭和17年頃のものを見ていたら、青木茂氏の毎日新聞への寄稿文があった。他に、村上正名氏の戦地からの手紙。山陽の母の件など。

早春の窓辺に充てるスキャナーの音の行方に散る桜花

 

 

2015年4月14日。火曜日。晴れ後雨。

まったく変な天気である。天気予報に反してまた降り出した。

午後、予定通り潮騒荘へ。出る前に福山は激しい雨。西に行くに連れて雨は少なくなる。しかし、因島へ着いて激しい雨。明日の天候が危ぶまれる。

西進の車窓を叩く春の雨嵐の如き黒雲の下

 

 

2015年4月15日。水曜日。雨後晴れ。

朝起きた時は降っていたが、8時頃には止んで晴れ間がのぞいている。暖かいので、筍を掘りに行くことにした。小さいのが4個。まったく猪と競争である。それから山畑の手入れ。

午後、重井町長崎から権現山へ登る。途中迄因島には珍しくきれいな渓流沿いに進む。昨夜の雨のせいかすがすがしい。畠の跡のような石組みの上で路は消える。尾根をかなり登って頂上へ着く。さらに北西の尾根を下り、別の頂、さらに北へ進んでNTTの反射板のあるところへ。そこから山を北へ下る。

夜、福山へ。

老にして踏み入る沢のせせらぎにむらさき映す満開の花

 

 

2015年4月16日。木曜日。晴れ。

暖かい一日。午前、笠岡。帰りに図書館。

午後、昼寝。

新聞は広島空港韓国機着陸事故のこと詳報。

「備後史談」に中島氏の寄稿発見。続編が見当たらず。

 

 

2015年4月17日。金曜日。晴れ。

暖かい一日。午前、買い物。夜、古文書講座。内海町文化財協会の「クジラ網と双海」求める。

シャープ福山工場閉鎖の可能性大。少しずつ情報を出しているような感じ。

青春の追憶忘れひたすらに史料の如く名簿を開く

 

 

2015年4月18日。土曜日。晴れ。

9時前に出て潮騒荘へ。まず我が家の山へ行き、竹の子取り。4本。灌木を刈って通りみちを整備。

午後、土生。変電所上の才の池の隣りに車を停める。空谷から登って、小丸城跡。北へ降りる。塞の神あたりへ出る。宝地谷を求めて歩く。空谷のひとつ西の谷が宝谷で宝地寺廃寺(稲井家墓地跡)と荒神社がある。さらに歩いて東廟稲荷神社へ。

車まで戻り、少し移動する。次は百梵山城跡へ。片山家墓地あたりから入り、山頂を目指す。二度本丸を目指すものの棘に遮られて失敗。最後に西端の池のところから登り、頂上に至る。本丸、武者走りなど。東へ棘を刈って帰路を確保。前々回登ったところに出る。権現社のほうへ降りて帰る。

 

 

2015年4月19日。日曜日。曇り時々雨。

潮騒荘にて。朝起きると雨の跡。止んだのだなと思っていたら8時頃にまた降り出す。昼前には止む。

午後、椋浦峠に車を停めて、一の城跡へ。東へ向い登り、降りる。途中で雨。椋浦町内へ出、雨の中を峠道を歩く。

夜、福山へ。

 

 

2015年4月20日。月曜日。雨後晴れ。

午前中は雨。後、晴れる。暖かい。やっと春になった。

今日は一日中写真の整理。サツキが咲き出した。

 

 

2015年4月21日。火曜日。曇り。

夜も雨が降っていたが、朝は止んでいる。朝晴れていたが、後曇り。ぱっとしないしない天気。暑くないだけよいとしよう。

モッコウバラが咲き出した。史料の整理。夕方潮騒荘へ。

 

 

2015年4月22日。水曜日。晴れ。

潮騒荘にて。今日も山の手入れ。灌木を刈って、できるだけ蛇などが住みつかないようにする。その前に灰の奥鐘楼線という白滝山登山道を峯松山鐘楼線との合流点まで棘の新芽などを摘みながら登る。その沢を下り、昔、畑であったところまで降りる。沢と呼んでいるが谿と谷の二つがあって、前者が水が流れているところで、後者は水が流れていないところである。当然、沢とはいえ谷のほうである。その谷を降りたところの畑の一角に、段差があり、年中わずかの水が苔の間から染み出ていた。それより少し低いところに、昔、父が池を作った。深く掘ってセメントとブロックで固めてあった。その残骸があるが、水が漏るのか溜まっていない。水源は生きていて、別のところを流れていた。池を復活してもよいが、深すぎるので、せめて1メートルほどまで底上げすべきだろう。そう思って、周囲の切った灌木を放り込んでゴミ捨て場にしている。こういう作業をしばらく続ける。1メートルほどになったところで、土を入れ、セメントを塗って池にするかどうかは、その時の気分次第である。とりあえず、その周辺の灌木を刈り、快適にするのが先である。

夜、福山へ。ガソリン給油。127円/L。

 

 

2015年4月23日。木曜日。晴れ。

朝、8時前に散歩。テレビを見ないので、朝食後歩く。時間は決まっていない。これから日々暖かくなるので、散歩に出る時刻も徐々に早くなる。

山田池というのか、早稲田池(わさだ池)というのか父に尋ねると、後者だと言うことらしい。

県立図書館から借りていた県史資料編の期限が来たので、近くの図書館へもって行く。

多くの図書館が郷土資料は貸し出しをしない。しかし、広島県史についてだけでも、福山市図書館には併せて何冊かあるのだから、一冊ぐらいは貸し出してもよいだろうと思う。そうしているのは県立図書館だけであるので、面倒でもこちらで借りる。面倒といっても、運送に時間がかかるだけで、予約をして取りに行くという作業は同じである。

帰りに郵便局へ寄って固定資産税を払って帰る。

 

 

2015年4月24日。金曜日。晴れ。

朝散歩。それから、買い物。

中谷宇吉郎「実験室の記憶」(青空文庫)を読む。人が実験室のことを記憶しているのではなく、実験室がそこの伝統を記憶しているという意味。こういうのを修辞学では擬人法というのだろうが、見る人が見れば、わかるのである。同様に、所有の格助詞でなく主格の格助詞である「の」を使って、「水の記憶」という言葉がある。水が以前氷だったとか、百年間もそのまま樽の中で寝かされていたとか、それを記憶しているというわけである。科学的には証明できるわけはなく、信仰に近いものだろう。

 

 

2015年4月25日。土曜日。晴れ。

朝、潮騒荘へ。すぐに竹の子取り。そのあと山の手入れ。午後は権現山、播磨バス停から権現山へ。まず野ウサギに出合う。子どもである。でも素早いので三枚ほど写真を写したが、写っていない。幸運である。因島で見るのは初めて。増え過ぎたら困るがそういうことはないだろう。その後は前回と同じように小川に沿って進み、少し行き過ぎて戻り、西へ方向を変え、谷を登る。太い竹の茂った谷には、古い道の跡があって、石鎚講の人たちが、こちらからも登ったのだと想定される。尾根に出て、左へ行けば竜王山の山頂だか、今回は、右へ登り、三角点のある広場を目指す。枯れ枝や雑草を整理して、見晴らしをよくする。帰りは頂上を目指し、そこから上迫の登山口へ降りてもよいのだが、来た道を戻って本日の探索は終了とした。

 

 

2015年4月26日。日曜日。晴れ。

潮騒荘にて。朝、6時17分、少し長い地震。峯松山登山道の整備少し。

午後、因島図書館。後、外浦の堂崎山城跡探訪。まず浜床の蘇功新開遊水池の近くに車を停め、鏡浦峠を登る。ここはもう来ることはないだろうと思っていたが、二度目になった。峠の切り通しを越えたところで、右へUターンして高圧線の鉄塔のほうへ進む。いい道がついている。鉄塔のところに、塞の神が祀られている。そこで、枯れ枝や雑草を苅って、さらに鉄塔に下を通って尾根筋を歩く。城跡らしい。春ゼミがもう鳴いている。これも珍しい。金蓮寺の跡があるかと思ったがみつからなかった。引き返して鉄塔の下を外浦側へ降りていく。ここにも道がある。住吉神社の上のほうを通過するのだが、なかなか下に降りない。道は北へそれ、結局地蔵院のところで街中に出た。地蔵院の住職さんが鏡浦の葬式に行くのに通っていた道だろうと、想像した。地蔵院の前を通り、車のところまで戻った。時間があったら大江城跡へも登る予定だったが、くたびれたので、本日の探索はこれまでとした。

夜、福山へ帰る。

 

 

2015年4月27日。月曜日。晴れ。

晩春というか初夏というか、戸外の日射しはきつい。家の中にいても寒くはない。どんどん上着が離れていく。

古い写真の整理。今迄はテーマ別に整理していたが、その日のルートに沿って時刻順に並べるのも面白いと思い出したので、古いのも改めて作りなおしたりする。時間が足りないので要所要所をとりあえず載せておく。徐々に密度をたかめればよいかと思う。

夕方、庭の草取り。

夜、町内会の役員会。

 

 

2015年4月28日。火曜日。晴れ後曇り。

8時前に散歩。少し暑いようだ。もう少ししたら、もっと早い時刻にしよう。

Macのテキストで作った文書をWinで印刷しようとしたら、段落がなくなっていたので、Macのままで印刷することにした。レーザープリンタのドライバがインスツールできないので、インクジェットのプリンターで印刷する。レーザーでもできるようにしておかなければいけない。

古い山歩きの行程集を昨日書いたような調子で作っている。

同じところを歩いた場合は特別なことがなければ、片方だけで済ますのがよいだろう。

16時半に出て、潮騒荘へ。日暮れ前に夕日が山を染める。少し黄砂があるようだ。夕刻が近づくと夕日の影となって視界をさらに遮るのだろう。

 

 

2015年4月29日。水曜日。晴れ。

潮騒荘にて。

朝、例によって、山畑に行き、灌木を刈る。次いで峰松山登山道の整備。そして、峰松山鐘楼線を経て白滝山へ。

午後、茶臼山城跡大江城跡

夜、福山へ。

 

 

2015年4月30日。木曜日。晴れ。

朝、笠岡へ。帰りに図書館。午後、昼寝。なぜか機械的な生活。目が覚めればMacに向い、写真の整理。たったそれだけのことなのに、かなり忙しい。写真なんか写さずに、ボーっとしておけば、それはそれで楽しいのではないかと思う。

たった一日だけ短いのに、四月は随分損をしたように思う。もう四月も終わり。明日から五月。

黄色のモッコウバラが満開。連日暖かい日が続くので、間もなく散るだろう。

暖かくなるのはうれしいが、山にも家にも虫が増える。皮膚の弱い私はすぐにかゆくなる。

乾燥皮膚のほうは、気候のせいか、下火に向かっている。

初夏の月が日暮れとともにその姿をより鮮明にする。そろそろ電灯をつけようか。それに窓も閉めようか。

 

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