夕凪亭閑話 2015年5月
夕凪亭閑話 2015年5月 CRYSTAL Home
2015年5月1日。金曜日。晴れ。
五月になった。爽やかな五月の風が吹いている。
朝、買い物。井原。図書館。午後昼寝。時々、庭に出て草取り。
古い写真や原稿の整理。
2015年5月2日。土曜日。晴れ。
9時前に出て、潮騒荘へ。
さすがに連休の初日とあって車が多い。途中でやや止まったりするも、かろうじて渋滞せずに流れた。案内では福山西と尾道JCの間で3キロの渋滞であった。
午前中、山畑へ行って、女竹を中心にカット。草はどんどん伸びてくる。
午後は椋浦町。一ノ城跡へ水軍スカイライン側から登る。急な斜面。それに気温も高く疲労はなはだしい。
本丸跡周辺の草刈り。少し展望がよくなった。ここの展望は素晴らしい。ただ北側がどこに行っても見えにくいのが残念。
2015年5月3日。日曜日。晴れのち雨。
潮騒荘にて。
朝、峯松山登山道。竹を切って日当りをよくすると草が驚くほど早く生えるので、竹は残したまま、昔の道を探すことにして奥へ入る。途中で左へ寄り過ぎているように思ったので、右へ旋回する。なだらかで、枯れ竹に邪魔されないルートはたくさんあり選択肢は広がるのだが、とりあえず一つのルートで峯松神社の注連縄石まで通じさせるのがよいかと思う。
午後、小雨のため読書。昼寝。夜、福山へ。尾道までしまなみ海道は渋滞。
2015年5月4日。月曜日。晴れ時々曇り。
散歩。ツツジの写真など写す。
メンテナンスをしていない植物誌と博物誌を新たにはてなブログで作る。旧版はターゲットフレームで五十音インデックスをつけてあるので、残す。はてなブログのほうはそれはないが、変更が簡単なので操作しやすい。ある程度変更が進んだ段階でWin版の旧版を修正すればよいとは思うが当分しない。
写真、原稿の整理など。
2015年5月5日。火曜日。晴れ。
朝、散歩。それからディスカウントストアーへ。午後、昼寝。写真と原稿の整理。4時半に出て潮騒荘へ。少し明るいので、峯松山登山道へ。左へ寄り過ぎたので、右へ上がる。そこから二三段上に上がると女竹と大きな岩の群になる。この左端の岩が峰松神社の注連縄石の下にある岩と同じものかわからない。同じものだとすると右へ寄り過ぎている。この岩の並びの下を左へ移動するのなら、初めから右へ行く必要はなかったということになる。また、幼時の記憶では岩は一つでその岩の左(北)を迂回すれば注連縄石に出るのだ。明日は、右に旋回した元のところを、もう少し上まで進み、この岩群れの左端近くへ行って確認するのがよいかも知れない。
2015年5月6日。水曜日。晴れ。
潮騒荘にて。朝、8時頃から、峯松山登山道へ。周辺の雑草や灌木を少し刈ってから、昨日考えたように、右に行かずに元のところを登る。しかし、元畑の段差と段差が大きく、上がり口が見当たらないので、やや右に寄ってそれから左折して段差の低いところを上がる。昨日の岩群れは見えない。さらに登る。やがて女竹の群れで進路を阻まれる。どの辺りにいるのかも見当がつかない。尾根の明るさらしき方向を目指す。イノシシの通った跡がやや通りやすいので、女竹を少し刈って進む。登山道と決まったわけではないので、最低限にして進む。大きな石垣と大木。これは峯松神社の下ではないかと思う。すると、また左へ寄り過ぎだ。かすかな光の入り具合を便りに右へ振って、29日に通過した注連縄石の下に出た。それも、29日に少し刈っていたので、そこだけが女竹の群れが薄くなっていたので、目的地だとわかった。これで、やっと貫通した。少し道らしく女竹を刈って、広げた。途中が昔の道と異なるように思うが、とりあえず通れるようにすることが先なので、最低限の整備をしながら目印をつけて下山。
午後は13:00のこまたきで細島へ行くべく西浜桟橋へ集合。往復300円。15分で細島へ着く。浜田神社を見て、港へ引き返し、東へ進路を取る。共同墓地、荒神社等を経て島内を回り、北側の農道を西へ戻る。新開の親戚の畑の傍へでて、海へ出る。地の雀島に渉る。そこから西へ海岸伝いに歩き、浜田神社の隣りを通って桟橋へ。17:40の休日最終便で重井西浜へ帰る。
夜、福山へ帰る。玉島笠岡は上りが10キロ渋滞ということであったが、しまなみ海道は通常通り流れていた。
2015年5月7日。木曜日。晴れ。
散歩と外出。写真と原稿の整理。昼寝少し。
2015年5月8日。金曜日。晴れ。
散歩と外出。写真と原稿の整理。昼寝少し。と、書けば昨日と同じ。炬燵を上げる。ソファベッドを半分上げて、ソファーにする。腹這いになったり、昼寝をしたりと便利この上もない。
でも、夕凪亭が狭い。仮眠スペースを作っておくべきだったと、いつも後悔している。でも、構造上は無理。諦めるしかない。
2015年5月9日。土曜日。雨後曇り。
朝から雨。9時前に出て、潮騒荘へ。昼過ぎまで小雨。しばらくして庭木の剪定。山へ行こうかと思ったが雨が降って蛇が元気になっているような気がして、遠慮しておく。
「カラマゾフの兄弟上」、中山省三郎訳、「第二篇 お門違いな寄り合い」を終わる。また、福田 恆存福訳で「老人と海」終わる。何度目かはわからない。終わるといっても時々いろいろなところを開けては読んでいるので、終わったも何もないのだが、同じチェックが終了したということ。
2015年5月10日。日曜日。晴れ。
潮騒荘にて。朝起きて、庭木の剪定をしようと思っていたが、この冷気(いや、暑くないということ。十分に温暖である)では蛇さんも活動を開始すまいと思い、意を決して、峯松山登山道へ。峯松神社まで行く。その先の鐘楼線への道の入り口を刈って、徐々に落ち葉を払いながら下山。注連縄石から下は女竹を主として刈り、道を広げていく。前回よりもさらに整備が進んだ。
11時30分に重井西港へ集合して、40分発のフェリーで佐木島へ。フェリーは残念ながら、「Nのために」のロケで使われた「第五かんおん」ではなく「第二かんおん」であった。帰りも同じ。洲の上から入って大平山へ登る。佐木島は因島の対岸で、いつも見ているのに、上陸するのは初めて。かつて、三原行きに利用したときは、いつも鷺浦港に停まるが、下船したことはなかった。因島がよく見えておもしろい。18時25分のフェリーに乗って帰る。片道250円。
夜、福山へ。
2015年5月11日。月曜日。晴れ後曇り、一時雨。
季節としては初夏なのに、屋内は意外と暑くない。
朝、コインランドリーへ炬燵布団を持って行く。26分でできるので、一度帰ってまた取りに行く。庭に干してから、車を洗う。と、いっても水をかけるだけ。メダカの卵をとろうとしても、1個しかない。まだ、水温が低いのか。
原稿と写真の整理。古い原稿は一太郎で書かれている。ワード文書はほとんどない。ワード文書だったら、Macのテキストエディターで読めるのだが、一太郎ファイルは読めないので、ひとつひとつhtm文書に変換する。
炬燵布団を二階に上げた。窓を開けておいたのだが、夕方雨が降り出したので、閉める。雨さえなければ爽やかな気候である。雨はすぐにやんだ。夜になって少し寒くなった。22℃だった。
2015年5月12日。火曜日。曇り後雨。
台風の影響で9時頃小雨。昼前から本格的に降り出す。
16時半に出て潮騒荘へ。小雨。次第に止む。
佐木島、大平山を写す。30倍ズームでは頂上に置いて来た白い布がかろうじてわかる程度。そう思えば、そう見える。
2015年5月13日。水曜日。晴れ。
潮騒荘にて。ガス工事のため、外出せず。庭木の剪定など。16時前に終わったので、因島図書館へ本の返却に行き、帰りに精米し、灯油を買って帰る。
夜、福山へ。
2015年5月14日。木曜日。曇り時々雨。
すがすがしい天気だったので、至るところの窓を開けて空気の入れ替えをしていたら、予想外の雨で、皆閉めてしまった。
午前、図書館。午後、眼科定期検診。今後は3ヶ月後に。
tombosouさんが描いた古城のイラストに解説エッセーを書く。
2015年5月15日。金曜日。晴れ。夜一時雨。
やや、蒸し暑い日。日射しもきつい。
朝、買い物。午後昼寝
。また古城のイラストが届いたのでとりあえず頁を作り、それぞれに簡単な解説を書く。と、言ってもなかなか本丸にたどり着けない。周辺をぐるぐる回っている感じ。夜、古文書講座。
2015年5月16日。土曜日。雨後、晴れ。
朝から雨。9時前に出て、潮騒荘へ。昼前まで小雨。ホトトギスが鳴いている。庭木の剪定など。午後、三庄観音寺。三十三観音など。
2015年5月17日。日曜日。晴れ。
潮騒荘にて。午前中、峯松山登山道整備。潮騒荘周辺掃除。
夜、福山へ帰る。
2015年5月18日。月曜日。晴れ後曇り雨。
三段跳びで天気は崩れてきた。そして珍しく激しく降った。
今日も忙しかった。城跡の解説文を書いているのだが、何しろ1600の関ヶ原で因島水軍の歴史は終わるのだから、その後の空白は埋めるべくもない。この400年前が末期村上水軍だからその前の世代となると、更に昔のことだ。もう歴史というよりも伝説だろう。
夜、遅く青木城、馬神城、天秀庵城の海岸線を巡って、メールで検討。資料が送られてきたので、それの解読。
2015年5月19日。火曜日。晴れ。
朝、8時前に散歩。あまり暑くない。10時頃笠岡へ。夕方内科医院へ。
城跡物語を少し書く。今日はあまり進まなかった。適当に読書。これもあまり進まなかった。アランの芸術論も面白くなかった。ハイデガーは相変わらずわからないが、目を通そうかと、時々思う。以前、諦め宣言をしたことがあったが、いつのまにかまた、じわじわとハイデガーの磁気圏に引っ張られているようだ。暖かくなったせいか、乾燥皮膚がやや下火。でも痒い。終息すればよいと思うが、どうであろうか。
今日は福山でもホトトギスが鳴いていた。
2015年5月20日。水曜日。晴れ。
今日は、因島八景をまとめて載せる。個々の写真はまだ。
16時過ぎに近くの図書館へ県立図書館から借りた広島県史を返却に行き、そのまま潮騒荘へ。
今日は潮が大きくひくということなので、日没前に大浜の八重子島の写真を写しに行く。そこにはいつものメンバーさんたちがいたので、青木城、天秀庵城の位置関係を確かめにいく。日は暮れかけていたが概略を知ってもらった。
2015年5月21日。木曜日。晴れ。
潮騒荘にて。午前中家の回りの道路の整備など。11時に合流して生名島へ。長崎桟橋の回漕点(切符売り場)へ入って、懐かしいような気持ちになった。そこは港そのものだった。切符売り場の前にパンや弁当が置かれ、その隣りには中郷牧場と書いた古い牛乳販売の冷蔵庫があった。蛍光灯を白熱電灯に替え、ジュークボックスがあって「赤いハンカチ」でも流れてくれば、それはそのまま40年前の尾道駅前桟橋の光景ではないか・・・。土生というところはそんなところだ。今でも島回りの船がひっきりなしに出入り、港町の光景をそのまま留めている。
生名行きのフェリーに乗った。往復140円である。長崎城跡、荒神山城跡を海の向うから写したいと待っていたのだ。しかし、船はホトトギスの声を聞きながらあっという間に生名島へ上陸した。
麻生イトさんでおなじみの三秀園を経て立石山へ登る。
夕方下山。
7時過ぎに福山へ。
2015年5月22日。金曜日。晴れ。
今日は買い物の日。それから井原へ。
午後昼寝。夕方、分担執筆の改訂版のチェックを済ませて投函。錦堂へ紅葉饅頭を買いに行く。
夜、本を読んでから、写真の整理。
2015年5月23日。土曜日。晴れ。
朝5時に起きる。5時50分にタクシーを予約しており、それに乗って大門駅へ。大門駅6時5分発。7時24分福山発で東京へ。東京から武蔵野線で松戸へ。これはディズニーランドに行く京葉線の隣りで、赤いラインに従ってひたすら地下へ降りて行く。いろいろな路線があるが、乗り換えなしで行けるので、滅多に行くことがないものにとってはこれがわかりやすい。二時間程いて、逆コースで帰る。帰りは時間を決めていなかったので指定は取っていない。自由席に座れたのでよかった。行きも帰りも富士山がよく見えた。
曇って日暮れが早かったが、雨は降らなかった。
疲れたの11時まえに寝る。
2015年5月24日。日曜日。晴れ。
6時に起きる。8時過ぎに出て、潮騒荘へ。池の手入れ。午後、周辺の整備。
6時過ぎに福山へ帰る
2015年5月25日。月曜日。晴れ。
朝散歩してずっとパソコンに向かって古い原稿の整理。写真の整理。フォルダーの整理。
それはよいとして・・・部屋の整理もしなければ。
メダカが2尾孵っていた。しかし、今年は卵をあまり生まない。ホテイアオイも育たない。
小さい頃のことを3つ思い出していておく。
1 おもちゃをもらうとよく壊していました。すぐに分解するのです。
自動車とか電車とか金属でできていました。
裏側の板は、ねじ止めというよりも穴に小片を指し込んで曲げて固定するタイプです。
ドライバーはなかったですね。ペンチと鋏と裁縫箱にあった先が平らな彫刻刀のようなもので曲げて開けて中身を見るのです。
もらったら少し遊んで、そのしくみが見たくてそうするのですね。
チョロQのような精巧なものではなかった。ちょっと厚くて大きな慣性力をためるための円盤がギヤに連動していて、二三回、 手に持ったままで床にすべらせて前へ素早く押すと、タイヤが回りはじめ、その円盤の慣性力で、手を離すと車はしばらく進みます。
どんなものから出来ているのかというのがわかればいいのです。原理がわかればさらによかった。
これは中学校の頃まで続きます。ラジオがプリント基板になった頃から、多くのものが壊してもどれも同じようで、面白くなくなりましたから、だんだんとやめていきました。
2 これも幼稚園に行く前のことです。
自転車の発電機が落ちてました。拾ってきました。回転がスムーズでなく、ある位置で止まります。分解したくて仕方が無い。
どこにもねじらしきものがない。どうしても分解できない。金槌で何度も叩いたり投げたりして、相当力を加えて、何日かたって外側を壊したと思います。強力な磁石とコイルが出てきました。分解して得たものでしばらくは遊びました。
3 三輪車に飽きた頃。
二台の三輪車をそれぞれ逆さにしてハンドルとハンドルを少し高い位置で、綱でくくります。前輪は宙に浮いています。四輪車になります。足をかけて乗れます。上から力をかけると壊れました。
これらは本能的なもので、理屈ではない。好奇心のおもむくままに好きなことをしていたのだろう。
2015年5月26日。火曜日。晴れ。
朝、散歩。暑い一日だった。メダカの卵を30個ほど捕って、発泡スチロールの容器に移す。やっと生み出したようだ。ホトトギスが一日中鳴いていた。
今日は、因島の城跡を年代順に並べた。といってもまだ前半。鎌倉、南北朝あたりまで。南北朝後半から村上氏の支配下になるのだが、どこから水軍と呼ぶか難しい。
16時半に出て潮騒荘へ。
2015年5月27日。水曜日。晴れ。
潮騒荘にて。
朝、白滝山表参道の旧道を復活させるために、伝六さん下の百華園から草刈りと枯れ枝の撤去を始める。ホトトギスが頭上を鳴きながら旋回する。カメラは少し離れたところに置いていたので、取りに行くだけの余裕がなかった。入り口付近は荒れていたが竹薮の中はまことにきれいで、どんどんと進み、あっという間に西洋館の上に出た。残念。竹薮が切れているところは雑草が生い茂っている。直射日光も強く、大雑把に背の高い草だけ刈って残りは他日に期すことにして、帰る。
帰って家の回りの草取り。
午後は昼寝。夕方福山へ。夜、町内会の役員会。
2015年5月28日。木曜日。晴れ。
朝7時に歩く。暑くなる前に歩くとよい。
『因島城跡物語」を進める。まず配置を固定。
朝、笠岡へ。
午後、昼寝。
2015年5月29日。木曜日。晴れ。
今日は7時半に散歩。もう少し早いほうがよいが。
9時から買い物。それから、井原。
午後、図書館。それから昼寝。
「因島城跡物語」は序章、終章、参考文献の頁をつけた。
2015年5月30日。土曜日。晴れ後雨。
朝、8時過ぎに出て潮騒荘へ。
すぐに、伝六さん下の第一駐車場へ。そこの草刈りをごく一部分だけして、伝六さんから百華園への下り口付近の草刈り。ついで、旧参道の草刈り。
ここで、私は大変なミスに気づいた。今までは失われた旧参道は、百華園に合流して、伝六さん下まで至るものと考えていたが、合流などしていなかった。
旧参道は西洋館上を、塀沿いに登り薮の中を通って、百華園近くへ出る。しかし、合流しないで、並行して伝六さんの下に至る。途中で、この旧参道へ百華園の上方出入り口が合流する。すなわち、昔ながらの参道は健在で、百華園に飲み込まれていないことがわかった。だから、これを表参道としなければならない。
結論としてこうなる。
表参道とは、川口大師堂下の変形四辻を起点として、東へ登る。途中、大下裏三叉路では左へ道を取り、油屋裏、岩蔵屋裏を登り、伝六ロードと交差する。そのまま東へ登り、西洋館(ペンション)に至る。西洋館上で自動車道を進まず、西洋館の塀沿いに石段を上がり、薮の中で左折して、百華園頂上付近に至る。そこで、百華園中の遊歩道と並行して登り、水道タンク前で百華園遊歩道が、表参道へ合流する。そのまま石段を上がると、自動車道、第一駐車場から来た道が表参道に合流し、伝六さんに至る。これより後が、仁王門、大日如来を経て山門に至る。
これが表参道である。
午後、生名探訪。今回は高松城跡を見るため左手方向へ歩く。途中で雨。
生名雨情
雨がふるふる生名島
あれに見えるは岩城の山か
帰る港と真反対
より強くなる雨脚に
濡れるカメラが気にかかる
気温も下がり日も暮れる
道はあれども人はなし
やっとみつけたおばさんに
立石港の位置を聞く
示す彼方は今来たところ
いつの間にやら間違えて
無駄足踏んだ雨の中
とぼとぼ歩く同じ道
曲れば見える天狗山
霧の彼方のふるさとか
近道の路地塞がりて
また戻りつつ見上げれば
赤い桟橋その先に
2015年5月31日。日曜日。晴れ。
潮騒荘にて。
朝、少しセメント塗り。
午後、青影城跡探訪。13:30、竹長バス停集合。Mさんの車で田熊側登山口まで。六松公園下の、因島八景の碑のあるところ。そこから歩く。山頂整備。18時過ぎ、下山。
夜、福山へ帰る。