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夕凪亭別館

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因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第1回 2016.5.17.  

いんのしまみち しげいみち おおはまみち なかのしょうみち とのうらみち かがみうらみち むくのうらみち みつのしょうみち はぶみち たくまみち 日本のみち

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     壮にして学べば、 則ち老いて衰えず。(言志四録)

 

 

1。白滝山について  その1  [p.3-5]

  柏原舒延著「霊峰白滝山の沿革」について。

  現在の因島・白滝山についての人々の知識のほとんどは、柏原舒延氏の研究に負っていると言っても過言ではない。先生の研究の成果が最初に発表された「反省ノ泉」は修養団捧誠会因島支部広島県因島市重井町)発行の月刊機関誌で、編集兼発行人は平賀清隆氏である。

 先生の研究の成果は、「霊峰白滝山の沿革」と題して、昭和43年3月1日発行の第185号から昭和47年9月1日発行の第238号まで、50回にわたって連載された。

 今回は、

(1) 観音道と伝六     昭和43年3月1日発行 第185号  

(2) 伝六さんの開悟  昭和43年4月1日発行 第186号   

(3) 伝六遺編       昭和43年5月1日発行 第187号

の3回分を読む。

 

2。村上水軍について その1 馬神城跡をめぐって     [p.6-7]

 中島忠由「因島地方一万年史」(昭和47年9月)、p.166によると、馬神城の城主は末永矢治馬介景光である。

 永禄12年(1569)、因島村上氏第6代村上新蔵人吉充が向島・余崎城から重井に移り、青木城を築城した。

 本城:青木城(城主:吉充、城代:稲井氏)

 白滝山:控えの要害で、備後灘方面の監視所。観音堂(堂主:常楽院静金)。

 馬神山:第三家老・末永矢治馬介景光。現在、山頂に「馬神大明神」「妙見大菩  薩」「大山神社」の小祠。馬神新開に「馬神山荒神社」の小祠。

 天秀庵:船奉行・片山数馬。馬神と橋で結ぶ。

 細島茶臼山:弓瀬氏(吉勝 市正 宗十郎)。

 上坂:柏原土讃守平忠安。

 八幡神社(伊浜)、山ノ神社(山ノ神)、毘沙門堂(山ノ神)造営。

 八幡神社(伊浜)に隋身像奉納。

 白滝山麓を武者街、大小路・南小路を市場街とし、通婚を禁じた。大疫神社(砂原)を市場の守り神とした。

 毘沙門堂(山ノ神)の跡に、江戸時代になって善興寺が建つ。毘沙門天像は中庄・成願寺にある。

 1588年の海賊禁止令によって、吉充は隠居し鞆城に移った。

因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第1回                 1                         Vol.1(2016)

 

                                                    

  末永矢治馬介景光について。      

「能島来島因島由来記」(因島市史料第六集)。p.41の「因島家 村上氏五八家衆 五家持 家老兼帯在勤」には、救井、稲井、末長、宮地、南氏の順に出ており「以上 五家衆也」とあって、第三家老が末永氏ということになる。

松岡進「瀬戸内水軍史」p.574によると末永矢治馬介景光は慶長五年庚子(1600)九月十九日、三津浜の戦いで戦死。位牌が越智郡亀岡村佐方(現・今治市菊間町佐方)の長本寺にある。法名、鳳院景山玄光居士。

 

 馬神山の南の麓(小林)には、白滝山観音堂堂主の常楽院静金大徳の三百回忌の供養塔がある。

「(前)常楽院 ◯◯ 静金淨清大徳三百大遠忌 (左)大正九年三月廿九日

 (右)十代目峯松幾三郎◯建之」

左側の墓碑には七代夫婦と八代の名が記されている。

「大教院隆光優婆塞 大越家前常楽院金龍法印 梵室妙唄優波夷」

 

 

 

3。真珠の養殖       [p.8]

 かつて重井町沖では真珠の養殖が行われていた。そのようすが、小学校教師用の遠足の手引きにあったので紹介する。冊子は「見学のしおり 第1集因島市内」(因島市教育委員会発行)というもので奥付はないが、「編集後記」と「あいさつ」により、因島市教育研究所編集で、昭和38年12月頃発行のものと思われる。

 

4。道元禅師へのアプローチ その1「正法眼蔵随聞記」より。 [p.9]

 因島の寺院は、主に北部が曹洞宗で、南部が真言宗である。伝六さんの思想の背景としても、曹洞宗が考えられる。道元禅師(1200~1253)には主著「正法眼蔵」があるが、「正法眼蔵随聞記」は道元禅師の弟子で永平二世の懐奘(えじょう)禅師が師の言説を聞き書したもので道元思想の入門書である。

 

5。弘法大師空海へのアプローチ その1「鯖大師」など。    [p.10]

 島四国、村四国の各札所に弘法像があるとしたら、因島には500体以上あることになる。弘法大師空海(773~835)は真言宗の開祖というだけでなく、宗派を超えた人気の高さは、現在でも衰えることなく続いている。大師伝説と史実としての空海像は当然異なるが、空海思想受容の一形態に他ならない。「鯖大師」民話に基づく巨大な鯖大師像は土生の村井才吉氏によって大正10年(1921)に建てられ、昭和52年(1977)天狗山の現ホテルいんのしまの前に移転された。

 

◉次回、6月21日(火)10:00~11:30、重井公民館。13:00大浜JA沖集合。千人塚、斎島神社・幸崎城跡、土井城跡(現地解散)、大楠山。(片方だけの参加も可)

 因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料 第1回                 2                         Vol.1(2016)

 

 [p.1-2 ](画像版)  [p.3-5]  [p.6-7] [p.8]  [p.9]  [p.10]

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