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夕凪亭別館

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因島・ふるさとの歴史を学ぶ会資料  第3回 2016.7.19. (共催:因島白滝公園保勝会)

いんのしまみち しげいみち おおはまみち なかのしょうみち とのうらみち かがみうらみち むくのうらみち みつのしょうみち はぶみち たくまみち 日本のみち

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少にして学べば、則ち壮にして為すこと有り。壮にして学べば、 則ち老いて衰えず。老いて学べば、則ち死して朽ちず。(言志四録)

 

1。白滝山の現状について 因島白滝公園保勝会 会長 柏原広雄

6月20日の豪雨により頂上山門下の石垣が大きく崩落した。山門への表参道は通行止めとし、一丁からの裏参道だけしか通れない状況である。また、6月29日の豪雨で釈迦三尊像の西側にある十大弟子5体のうち西側の3体が後ろ側へ転落した。

[付記]6月21日(第2回)の共催者挨拶の主旨:因島白滝公園保勝会は昔から白滝山の環境保全、遺産の継承を目的に活動してきた。歴史を学ぶ会の活動は、保勝会の趣旨と合致するところがあり、協力し一緒に学習していくために共催することにした。皆様のご協力をお願いしたい。

 

2。白滝山について  その3 [p.29-36]

 今回は、柏原舒延著「霊峰白滝山の沿革」については、

(8)石佛建立の信願       「反省ノ泉」昭和43年10月1日発行 第192号 

(9) 伝六の年譜        「反省ノ泉」昭和43年11月1日発行 第193号

(10)一観秘書峰松初五郎    「反省ノ泉」昭和43年12月1日発行 第194号

(11)白滝賛歌         「反省ノ泉」昭和44年1月1日発行 第195号

の4回分を読む。[p.29-32]

 また併せて、宇根家文書「五百大羅漢寄進」(文政十年 亥正月吉日 重井村 観音山」(1827年)のうち、五百大羅漢佛の外之浦、鏡、椋之浦、三ツ之庄村、土生村、尾道町、吉和村、三原、和田、細嶋、本鷺、須之江、向田浦村、高根嶋を見る。 原本にはページ数はないが、順次打っておく。

 寄進額は銀である。目は文目の略で匁のこと。磯田道史「武士の家計簿」(新潮新書)、2003、p.55の「表2 江戸時代の貨幣と価値」によると、銀1匁(もんめ)は現代感覚4000円、米価から換算した現在価値は666円である。[p.33-36]

 

3。柏原伝六と一観教    今井 豊      [p.37-40]

 2016年度芸備地方史研究会大会(2016年7月3日、広島大学)において、今井豊氏が「柏原伝六と一観教」と題して研究発表を行った。伝六さんが歴史の学会で取り扱われたのはおそらく初めてである。その要旨を載せる。

 

4。村上水軍について その3 「予陽盛衰記」から [p.41-42]

「予陽盛衰記」は「予陽河野盛衰記(河野軍記)」と呼ばれる、河野氏の盛衰を描いた16巻の軍記物語の流布本の一書である。村上和馬氏が元文5年京都書房版を訓読したものである。その第十二巻、第二章に因島村上氏のことが出てくる。北畠山城守師清(もろきよ)が信濃国から紀州雑賀(ざいが)、讃州塩飽、備中神島(こうのしま)を経て大島へ来て、河野通治へ礼を尽くしてから村上義弘の後を相続することが認められることが書いてある。また今岡左衛門尉通任が村上義弘の姉婿であること、南彦四郎通泰が河野通継の三男であることなどが記されている。北畠師清は村上義弘を継いで村上師清と改め、今岡通任と争ったのが、釣島箱崎浦の戦いである。勝った師清が子息3人をそれぞれ能島、来島、因島に配したというのが三島村上水軍の起源伝説であるが、本書ではその間に1代入る。なお、釣島箱崎浦の戦いが、村上義弘の跡目争いによるものの他、南北朝の戦いの局地戦であるとする説もある。因島村上氏の第一家老救井氏が新田義貞の子孫、第二家老稲井氏が新田義貞の弟、脇屋義助の子孫であることから、後者の可能性は高い。あるいは単なる因島の領有権争いだったのかも知れない。また、師清の子息3人を三島村上氏の起源とする話が史実でないとする見方もある。

 

5。細島 [p.43-45]

 因島重井町文化財協会によって平成28年1月31日に発行された「重井昔話し」から2話を選んだ。本書には17話が紹介されている。幾つかのソースを辿れば、重井学校文化部編「伝説の郷土」(藤井藤萬蔵)というのがあって、因島高校郷土史研究部、そして因島ジャーナル社によって再録刊行されてきた。因島高校郷土史研究部「因島の民話」のあとがきから想像するに、重井学校文化部編「伝説の郷土」というのは、戦前の重井小学校の子供たちによって集めれられたものではないかと思われる。だから、今回の「重井昔話し」の刊行は、まさに重井の昔話の里帰りであって、まことに慶賀すべきことであるので、まずそのことを記しておく。

 細島ハウスの東の松の木の下が「細観音」のタヌキの埋められたところである。観音さまは出てこないが、細島には西国三十三観音があり、穏やかな自然とよく調和している。

「弓瀬曽十郎」は細島茶臼山城主が弓瀬氏であることから、その由来を考えるために掲載した。足利尊氏が三原沖を通過するのは1336年のことであるから、村上吉充が青木築城する1569年まで約230年ある。また、弓瀬家の「元祖弓瀬宗三郎」と書かれた墓には、「道西禅定門」、「士 慶安元子六月十二日」とある。慶安元年は1648年であるから、この人が細島茶臼山城主であることは考えられない。その先祖を考えなくてはならない。箱式石棺(細1号)は昭和36年7月6日指定の因島市(現在尾道市)史跡である。粗製箱式石棺で古墳時代のものと推定されている。内径は高さ30cm、長さ、1.75m、幅、28cm、22cmである。(「因島市文化財」による。)荒神社は重井四廃寺の1つ長福寺の跡である。細島茶臼山城跡。標高43.5mで細島ではあまり高くない山である。浜田神社あるところが海だったとすると三方を海に囲まれ、西側に小島を擁しており、立地的には恵まれている。共同墓地から北に登る登山道があるが、今回は勾配の小さい東側の竹やぶから登る。山頂には灯籠と小祠があり、周辺に三十三観音がある。共同墓地。菅菊太郎「愛媛県農業史」(中巻)、愛媛県農会、昭和18年、p.96に大三島の人、下見(アサミ)吉十郎と甘藷の播布についての記述中、甘藷地蔵尊として崇め、祀られるものとして、地元の光雲寺境内のものなど愛媛県内の他、広島県内では生口の生善寺(洲之江)と重井村では「善孝(興?)寺境内」と「部落内」の二カ所が記されている。後者が細島共同墓地内のものではないかと思われる。浜田神社。桟橋からまっすぐ北側に向かうとすぐにある。浜本屋という家の先祖は島根県の浜田から来たという言い伝えがある。浜本屋が埋め立てた一帯が字・浜田である。浜田にあるので浜田神社である。[付記]重井西港から船が出ると馬神から離れた沖合を干満とは関係なく進む。近寄りすぎると危険であり、2つの浮き灯台「うしくそ」と「中もす」の間を通る。その奇妙な名前に多くの人は首をかしげる。前者は先の尖った岩礁の名前だということである。重井流に言うなら「うしぐそ」と濁らなければならないが・・。「踏むな!」という意味が込められているのかもしれない。その岩礁は大潮の干潮時に見える。二年連続でテレビドラマのロケ地にもなった名勝、新波止(しんばと)の北側である。ぜひ自分の目で確認してもらいたい。(この項、住原俊治氏の示唆による。)

 

6。道元禅師へのアプローチ その3「正法眼蔵」〈現成公案〉より

仏道をならふというふは、自己をならふ也。自己をならふといふは、自己をわするるゝなり。自己をわするゝといふは、万法に証せらるゝなり。万法に証せらるゝといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。〈現成公案〉(岩波文庫正法眼蔵(一)」p.54) 

 道元禅師の主著「正法眼蔵」の第一現成公案の有名な言葉である。修が修行で、証が悟りであった。そしてここでは、悟りとして心身脱落というのである。具体的には自分を忘れる、すなわち自分を捨て去るということである。そういうことは世の中の自然の法則で実証されているというのである。「証せらる」というのには実証されるという意味であろうが、「悟り」でもある。身と心を捨てるといっても肉体は捨てることはできない。心、すなわち精神を捨てることになる。それは般若心経の「色即空 空即色」と通じるものがある。また、心と身が離れるということ、すなわち精神と肉体とが離れると解釈したらどうであろうか。本来、我々の存在は精神あっての肉体、肉体あっての精神であるであるが、それが離れるとはどういうことか。これは、それぞれが相手に影響されない本来の精神、本来の肉体へ戻るということである。

 

7。弘法大師空海へのアプローチ その3 入唐のこと [p.46]

渡辺照宏宮坂宥勝「沙門空海」(ちくま学芸文庫)、のp.79は空海の入唐時のことを記す。延暦23年(804)、第16次遣唐使として空海らの乗った第一船は目的地から大きく外れ福州に漂着した。そのため入唐が許されなかった。嘆願書を空海が代筆し、解決されたという有名な逸話を入唐早々に残すことになった。語学の天才ぶりを示すものとして有名な話である。その文章は引用しなかったが、他に「三教指帰 性霊集」(岩波書店日本古典文学大系71)p.266に漢文、訓読文ともに記載されている。

 

8。重井村四国八十八か所札所について  その2

 

 第2回[p.26]からの続き。

24番 室戸山明星院 最御崎寺。「二十四ばん 東寺 二十三人組」。伊手樋。23番の少し西。

25番 宝珠山 津照寺。「五 津」。八大さん庭右奥。

26番 竜頭山 金剛頂寺。「ばん 西寺」。厳島神社東。八大さん庭。

   ご詠歌に「月の傾く西寺の空」。22番の右。

27番 竹林山 神峯寺。「廿七ばん」。明神。米十屋。

28番 法界山 大日寺。「廿八ばん 大日寺 八人組」。島四国86番志度寺内。

 29番 摩尼山 国分寺。「○十九番 国分寺 十九人組」。明神。厳島神社の南。 隣が30番。

30番 百々山 善楽寺。「三十ばん 一○宮」。明神。厳島神社の南。(29、30合祀)。

   ご詠歌に「人多く立ち集まれたる一の宮」。

32番 八葉山 禅師峰寺。「禅師峰寺 弥七」。長崎。島四国72番曼茶羅寺前。

35番 医王山 清滝寺。「清滝寺 願主源七」。明神井戸。南側、右の奥。

36番 独鈷山 青龍寺。「青竜寺 十一人組」。大出材木南東。

39番 赤亀山 延光寺。「九番  延」。島四国84番屋島寺川口大師堂)内。

41番 稲荷山 龍光寺。「四十一番 龍光寺」。久保。角恵屋。

42番 一棵山 仏木寺。「四十二番」。久保。島四国76番金倉寺前。

44番 菅生山 大宝寺。「四十四ばん 大宝寺 四人組」。久保。旧廣島屋。

  旧田中医院。右側(外)。

46番 医王山 浄瑠璃寺。「四十六番 浄瑠璃寺 願主 今先わ」。藤井医院西。

47番 熊野山 八坂寺。「四十七番 八坂寺」。小林。島四国79番高照院横。

48番 清竜山 西林寺。「○○八番 西林○」。善興寺無縁墓地(東)。

50番 東山 繁多寺。 「五十ばん 繁多寺 七人」。砂原。島四国78番郷照寺内。

51番 熊野山 石手寺。「石手寺 九人組」。砂原。カジヤ奥。一本松。

52番 龍雲山 太山寺。「五十二番 太山寺 十三人組」。小林。トラヤ。

53番 須賀山 円明寺。「五十三ばん 円明寺 九人組」。小林。島四国79番高照院内、左。

54番 近見山 延命寺。「 十四番 延命寺 十人組」。小林。島四国79番高照院内、右。

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55番 別宮山 南光坊。「第五拾五番 嘉永三庚庚六月吉日」。青木。昭和橋東。

56番 金輪山 泰山寺。「ばん  山寺」。青木金毘羅神社玉垣の上)。

58番 作礼山 仙遊寺。「五十八ばん 千光院 願主 万」。青木。青木道路改修碑横。

59番 金光山 国分寺。「国分寺」。東浜。島四国86番志度寺内。

60番 石鉄山 横峰寺。「六十 横」。伊浜。玉屋前(道路を隔てた石垣の中)。

61番 栴檀山 香園寺。「六十一番 村上六三郎 柏原金四郎」。右「六十一番 香光寺 中個  中」。東浜。島四国87番長尾寺内。

62番 天養山 宝寿寺。「六十二番 一宮寺」。細口。平和堂駐車場。

   ご詠歌に「さみだてのあとに出でたる玉の井は 白坪なるや一の宮かは」

64番 石鉄山 前神寺。「六十四ばん 前神寺」。宮ノ上。島四国88番大窪寺北。

65番 由霊山 三角寺。「六十五番 三角寺」。白滝山。観音堂前。

66番 巨鼈山 雲辺寺。「六十六番 ○辺○」。白滝山山頂。鐘楼前、大師立像周辺。

67番 小松尾山 大興寺。「六十七番 小松尾寺」。伝六さん(墓所)の仁王門より。

68番 七宝山 神恵院。「六十八番 九人組」。西洋館下。69番 七宝山 観音寺。

70番 七宝山 本山寺。「七十番 本山寺 十三人組」。島四国78番郷照寺横。

72番 我拝師山 曼荼羅寺。「○○二番 十王 十人組」。川口。大師堂前。

74番 医王山 甲山寺。「七十四番 光山寺」。川口。大脇田。

75番 五岳山 善通寺。「善通寺 六人組」。川口。みねぎ。

76番 鶏足山 金倉寺。「金倉寺 願主」。川口。井戸横。

77番 桑多山 道隆寺。「道○寺 九人組」。川口。トウスヤ。

80番 白牛山 国分寺。「国分寺」。川口。表参道伝六ロード交差点。左奥。

82番 青峰山 根香寺。「八十二ばん 永天寺」。川口。林勝。祠の外。

83番 神毫山 一宮寺。「一ノ宮寺 末廣講中」。丸山。丸小山登り口。

84番 南面山千光院 屋島寺。「八十四ばん 矢島寺 四人組」。丸山。丸小山山頂。

85番 五剣山 八栗寺。「八栗寺」。丸山。丸小山の東。

86番 補堕落山 志度寺。「八十六ばん 志度寺」。丸山。峯松孝好氏宅。 

88番 医王山 大窪寺。「八十八ハん」。一本松。背後壁面。

               (因島重井町文化財協会、住原俊治、柏原林造)

 

9。因島と周辺の霊場   住原俊治   [p.47]

 

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